将棋の歴史を起源から追う。ルールの変化と将棋に関わった人物とは

2018.12.30

将棋の歴史や、起源はどこにあるのでしょうか。将棋ができあがるまでの歴史や、徐々に変化していったルール、将棋にゆかりのある人物などを徹底的に紹介します。ゲームそのものではない将棋の世界に触れて、楽しみを広げていきましょう。

将棋の発祥ルーツ

将棋の発祥ルーツはあるのでしょうか。まずは、どのようにして将棋と呼ばれるゲームができたのかを紹介します。

起源はインドのチャトランガと言われている

将棋の起源は、インドのチャトランガと呼ばれているボードゲームではないかと考えられています。チャトランガは、8×8の盤を使い、8枚の駒を使って遊ぶゲームです。

このチャトランガが世界各地に広がることで『将棋』、『チェス』、『シャンチー』、『チャンギ』、『マークルック』などのゲームが作り上げられてきたと言われています。ルールや形態が違いますが、どれもチャトランガをルーツに作られたゲームです。

伝来した時期は、はっきりと分かっていない

では、いつごろチャトランガが日本に伝来してきたのでしょうか。実は、今でも伝来した時期について研究が続けられていますが、正確な時期はわかっていません。研究の結果、囲碁が伝来したと言われている奈良時代前後が濃厚ですが、はっきりしていないのです。

現在、定説となっているのが『中国を経由して将棋が伝わった』という説です。中国でチャトランガをベースとして『将棋の基礎』ができあがり、日本に伝わることで現在の将棋ができあがったというのが、現在わかっている将棋の歴史です。

現代の将棋ルールの歴史

次に、現代の将棋ルールの歴史へ目を向けてみましょう。日本に伝来した将棋がどのように変わっていったのかを紹介します。

時代と共にルールが変わり、複雑に

日本に伝えられた将棋は、平安時代に盛んになり大きく発展していきました。このころから将棋は独自性を持ち始め、徐々にルールなども複雑なものが追加されていたと言われています。

例えば、8×8マスや9×9マスで楽しまれていたのが『平安将棋』と呼ばれるものです。現在の本将棋に使われている9×9マスは平安将棋で使われていたルールがそのまま残っていると言われています。他にも、13×13マスで行われる『平安大将棋』と呼ばれるものもありました。

他にも、将棋独自の持駒(もちごま)と呼ばれるルールも、この平安時代に広まっていったルールです。チェスなどのチャトランガを基本としたゲームとは違った形で、独自の進化を遂げていったのもこの平安時代と考えられているのです。

江戸時代に急発展

江戸時代に入ると、長きに渡る戦乱の世も落ち着いたことで『将棋と囲碁』は徳川幕府によって手厚い保護を受けるようになりました。将棋所、囲碁所と呼ばれる家元制が導入されたことで、名人と呼ばれた人たちは江戸城内で将棋や囲碁を行うようになっていったのです。

『御城将棋』と呼ばれるこの対局では、幕府から俸禄(ほうろく)と呼ばれる給料をもらっていたそうです。

また、江戸時代から、定番の戦法やルールなどの見直しなどが行われ始めました。明治時代まで続いたこの保護によって、将棋が徐々にできあがり『本将棋』として今も残っているのです。

将棋駒の歴史

将棋の歴史の次には、将棋駒の歴史を確認していきましょう。駒は、城跡や各地の遺跡で発見されており、その歴史を探ると駒作りをしていた時代にたどり着きます。

かつては貴族や武士が自ら駒作りしていた

城跡や各地の遺跡では、使われていたとされる古い駒が見つかっています。このことから、貴族や武士が自分で駒を作って将棋を楽しんでいたことがわかっています。

見つかった古い駒には、作った人の名前が刻まれていたり、書体に違いがあったりさまざまな形態があります。試行錯誤が続けられ、今の本将棋の駒ができあがっているのです。

江戸時代後期から天童で将棋駒が作られるように

では、今使われている書体の駒づくりはいつごろ行われていたのでしょうか。本格的に将棋の駒づくりが始まっていったのは江戸時代後期からと言われています。幕府の恩恵を受け、庶民に広まった将棋は『駒づくり』から楽しまれていました。

中でも大きな動きだったのは、貧困に苦しんでいた天童織田藩が行った駒づくりです。天童織田藩は、米沢藩から駒づくりの技を学んだことを活かして財政を整えようとします。こうして幕末のころには、駒づくりの天童伝統の草書体による書き駒の基礎が築かれていったのです。

現在でも山形県天童市は、将棋の駒生産日本一を誇っています。

歴史上の人物と将棋の関わり

次は、歴史上の人物と将棋の関わりについてチェックしてみましょう。有名な豊臣秀吉との逸話など、思わず笑ってしまう話も残されています。

豊臣秀吉の性格がにじみ出る珍説

天下人の豊臣秀吉も将棋を楽しんでいた武将の1人と言われています。しかし、豊臣秀吉の腕前は、負けてばかりで勝ちは多くなかったという話が残されているのです。

それでも将棋が好きで辞められなかった秀吉が『勝つために』考えたのが『太閤将棋』と呼ばれるものです。

秀吉が行っていた太閤将棋は、駒の動かし方などの基本的ルールは通常の将棋と同じものが使われていました。しかし、初期配置では『飛車の前の歩』がない状態からスタートするのです。

将棋での駒落ち戦では、上手の人が先手のため、初手でいきなり竜王を作ることができるという内容でした。秀吉は、自分に有利になるよう、駒を落とすことで圧倒的有利な状態を作り出して対局を行っていたのです。

他にも、秀吉が『王将』を作ったという話があります。

王将ができあがった逸話はいくつかあるのですが、その逸話の中の1つに『秀吉が王将を作るように命令した』という話があります。それほどまでに、秀吉は将棋を愛し、楽しんでいたのです。

将棋に没頭した徳川家治

秀吉以外にも、将棋に没頭していた歴史の人物で有名なのが『徳川家治(とくがわいえはる)』です。家治は、幕政に口を挟むことなく『趣味の将棋に没頭していた』という話もでてくるほど、将棋を愛していました。

自ら七段の腕前を名乗り、図式集と呼ばれる『詰将棋集』を作り上げています。家治によって作り上げられた『御撰象棊攷格(ぎょせんしょうぎこうかく)』は、現在でも参考になるほど充実した内容です。

このように、歴史に名を残す人物も愛した将棋は、長い歴史を乗り越えて今の本将棋として伝わっている古来日本人の楽しみとも言えるのです。

将棋の日はいかにして制定されたか

将棋の日をご存知でしょうか。これは『御城将棋』をきっかけに作られた日だと言われています。どのようにして将棋の日ができたのかを紹介します。

徳川吉宗が開始させた「御城将棋」の制度

八大将軍徳川吉宗が、1716年に将軍の御前で行われる『御城将棋』を年に1度、旧暦の11月17日に行うということを制度化していました。その年によって開催日が変わっていた御城将棋の式日を決めたことがきっかけとなっているのです。

昭和50年より11月17日が将棋の日に

昭和50年より日本将棋連盟では、徳川吉宗が取り決めた御城将棋を行った11月17日を『将棋の日』と定めてイベントを行っています。1975年の11月17日に行われた『第1回 将棋の日イベント』では、約8000人のファンが集まり盛り上がりました。

将棋の面白さは長年の歴史で編み出された

将棋は、長年の歴史で編み出されたルールや禁じ手などが今も残り、その奥深さから今でも多くの人が楽しんでいるゲームです。歴史の中で繰り返されてきた試行錯誤は、現代の人も経験することができるゲームとも言えます。

歴史に残る武将や将軍も愛した将棋を、当時の人々の気持ちや背景などを感じてみるのもおすすめの楽しみ方です。

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