落語家の名前と階級のしくみ。有名落語家に関するエピソード

2018.12.19

落語家の独特な名前の由来や師匠と弟子の関係など、詳しい知識があれば寄席を一層楽しめるようになります。落語の始まりから名前の決め方、階級制度や一門の実態まで、有名な落語家のエピソードを交えながら紹介します。

落語家の誕生と重要人物

現在のような大衆相手の落語が誕生したのは、徳川綱吉が将軍だった元禄時代(1688~1704年)と言われています。それ以前にも有力大名や商人に雇われて、来客などを相手に面白い話を聞かせる職業はありました。

しかし不特定多数の人から代金を徴収して、滑稽な話を披露するスタイルが始まったのは、江戸時代になってからです。奇しくも江戸と上方、それぞれの地で同じ時代に、落語の祖と呼ばれる人物が登場しています。

江戸落語の祖 鹿野武左衛門

江戸落語の祖と呼ばれている人物が、『鹿野武左衛門(しかの ぶざえもん)』です。彼はもともと漆塗りの職人でしたが、芝居小屋や銭湯、酒宴の席、大名屋敷などに出向いて身振り手振りを交えながら滑稽な話をする座敷噺(ざしきばなし)を始め、江戸中で大評判となりました。

しかし運悪く、当時流行した伝染病が発端となった騒動に巻き込まれ、武左衛門は島流しの刑に処されてしまいます。これを境に江戸の落語ブームは下火となり、次に流行するのは事件から100年ほど経ってからのことでした。

上方落語の祖 五郎兵衛、米沢彦八の二人

武左衛門と同じ頃、京都では『露の五郎兵衛(つゆのごろべえ)』が、大阪では少し遅れて『米沢彦八(よねざわ ひこはち)』が、辻噺(つじばなし)を行い人気を博していました。

辻噺とは、河原や寺社の参道など大勢の人が集まる場所に簡単な小屋をかけ、観客を集めて滑稽な話を聞かせお金をもらうことで、屋敷などに呼ばれて行う座敷噺とは営業スタイルが違います。

京都落語と大阪落語は別々のものとして発展していきますが、明治の頃には2人とも上方落語の祖と呼ばれるようになりました。

江戸落語と上方落語は、始まった時期は同じでもそのスタイルや歩んだ道はずいぶん違っていたのです。

落語家になるまでの道のり

普段は当たり前のように見聞きしている落語家ですが、そもそもどうすれば落語家になれるのか、階級によって仕事にどんな違いがあるのか、よく考えるとわからないことがたくさんあります。

落語家を志し弟子として入門してから、一人前の真打ちになるまでの道のりを紹介します。

師匠探しからスタート

落語家への道は、弟子入りする師匠を探すことからスタートします。落語業界に詳しい知人などがいれば、よい師匠を紹介してもらえることもあります。

しかしほとんどの場合は、寄席に通って自分が入門したいと思う師匠を決め、公演の終わりに楽屋口で待ったり、自宅に通ったりして弟子にしてもらえるよう頼みこみます。

1度頼んだだけで弟子にしてもらえることはまずありえないことで、弟子にしてもらえるまでは、熱意をもって何度も訪問するのが当たり前とされています。晴れて弟子入りすることができたら、『前座見習い』としての生活が始まります。

落語家の家系である必要はない

歌舞伎や茶道などの世襲制の伝統芸能と違って、落語家になるために必ずしも落語家の家系出身である必要はありません。最初から落語家になる運命を背負って生まれてきた、ということはないのです。

本当になれるかどうかは別として、落語家になりたいという情熱さえあれば、誰でも目指すことができます。

見習いとして修業後、前座入り

弟子入り後は、『前座見習い』として一人前になるための修業をします。師匠の家の掃除や洗濯、かばん持ちなど師匠や兄弟子の雑用をこなしながら、落語の稽古をつけてもらったり、着物の扱い方などを教わったりします。

見習いの仕事を立派にこなせるようになれば、師匠から『前座』として楽屋に入ることを許されるようになります。前座は楽屋でお茶を出したり、師匠や兄弟子の着付けを手伝ったりするほか、寄席をスムーズに進行させるための黒子のような仕事もこなします。

その合間をぬって落語の稽古を続け、師匠の許可を得て次のステップへと進んでいきます。

二ツ目、真打ちへと進んでゆく

前座から『二ツ目』に昇進すると、雑用から解放され着物も着流しから紋付の羽織袴を着られるようになります。ようやく落語家らしく見えるようになりますが、出演できる高座が限られ仕事が減ってしまうため、積極的に腕を磨きながら自分で仕事を探す必要が出てきます。

この時期に気持ちが緩んで修業を怠り、脱落してしまう落語家もたくさんいます。二ツ目の仕事を順調にこなしていくと、次はいよいよ『真打ち』昇進です。師匠と呼ばれるようになり、弟子をとることも可能になります。

落語家の階級としては真打ちが最高位ですが、世間的には真打ちになって初めて、いわゆる落語家として認められるものです。

人気の落語家として長く活躍したり、若手を育成したりしていくためには、真打ちをスタート地点として、さらに芸に磨きをかけていく必要があります。

落語家の名前の決まり方

落語家の名前には、頭に『三遊亭(さんゆうてい)』や『林家(はやしや)』などの亭号(ていごう)がついています。これは属する一門を表す名字のようなもので、勝手に創作して名乗ることはできません。

亭号のあとに続く名前の部分と合わせて、その落語家個人の呼称となります。亭号や名前の決め方について、詳しくみていきましょう。

亭号とは

亭号は落語家の名前のうち、名字に当たる部分です。『春風亭(しゅんぷうてい)』や『笑福亭(しょうふくてい)』のように、亭がつくことが多いのでこのように呼ばれています。

基本的には弟子入りと同時に師匠と同じ亭号を名乗ることになりますが、昇進を機に独立し、別の亭号を名乗ることもあります。

亭や家などが付く名字のようなもの

亭号には亭がつくもののほかに、林家や柳家などの『家』がつくものや、立川や桂など、一般的な名字と変わらないものもあります。しかし落語界では、この名字にあたる部分をすべて亭号と呼んでいます。

名前は師匠が名づける

亭号のあとに続く名前の部分は、師匠に決めてもらいます。決め方としては、師匠の名前から1文字をとって使うケースが多くなっています。落語家の一門に似たような名前が多いのは、このためです。

名前は昇進のときに改名することもできるため、前座のときにあえて覚えやすいインパクトのある名前を付け、ほかの前座より目立たせる作戦をとることもあります。

また、一門の名跡を継承する場合は、代々続く名前を襲名します。2011年に桂三枝が桂文枝一門を継ぎ、6代目桂文枝となったのが代表的な事例です。

笑福亭松之助が名付けた有名芸能人とは

インパクトのある名前と聞けば、多くの方が『明石家さんま』を思い浮かべることでしょう。彼はもともと落語家を志していました。さんまという名前は、高校生のときに弟子入りした師匠、笑福亭松之助に付けてもらったものです。

理由は簡単で、さんまの実家が水産加工業を営んでいたから、というものです。こうして最初は『笑福亭さんま』と名乗っていましたが、落語家からタレントへ転向するときに笑福亭のままでは無理ということで、師匠の本名『明石家』を与えられ、明石家さんまが誕生しました。

江戸噺家の所属先はさまざま

現在、東京の落語界には4つの団体が存在します。メインとなるのが『落語協会』と『落語芸術協会』で、残りの2つは落語協会から離脱した落語家が、一門を率いて設立した団体となっています。

東京を中心に活動する落語家(江戸噺家)は、この4団体のいずれかに所属しており、所属先によって出演できるホールや公演が決まっています。それぞれの団体について、概要を紹介します。

落語協会と落語芸術協会

落語協会は、4つの団体の中でもっとも古くからある正統派と言える団体です。古典落語の名手が大勢所属しており、落語の伝統を色濃く残しています。

落語芸術協会は、笑点の司会で有名な故桂歌丸が会長を務めていた団体です。古典落語に対抗するように、新作落語やテレビ出演を積極的に行い、親しみやすいイメージを作り上げました。現在の笑点の司会者、春風亭昇太もこの団体に所属しています。

落語協会に所属の落語家は上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末広亭、池袋演芸場の都内4カ所で行われる定席興行に出演できますが、落語芸術協会は上野を除く3カ所のみとなっています。

家元制度をとる落語立川流

『落語立川流』は破天荒な言動で有名なカリスマ落語家、立川談志が落語協会を脱退して設立した団体です。お金を払えば弟子になれたり、昇進のときに上納金を納めさせたりという、落語界の常識を破る家元制度のようなシステムを取り入れたことで話題になりました。

ほかにも弟子は一定期間築地で修業しなければならないなど、ユニークな規律を設けたことでも有名です。協会に属していないため演芸場の定席興行に出演できず、ホールで落語会を開くなど独自の活動をしています。

最も新しい圓楽一門会

『圓楽一門会』は笑点の司会を長い間務め、温厚な人柄で人気のあった5代目三遊亭圓楽が結成した団体です。落語立川流と同様定席興行には出演できないため、『お江戸両国亭』や『亀戸梅屋敷』を拠点に活動しています。

お江戸両国亭で毎月行う両国寄席には落語芸術協会、落語立川流、上方落語協会からも多くの落語家が出演しています。

江戸噺家の顔写真付きの名鑑

落語家は寄席に出演することが主な仕事なので、テレビによく出演している一部の落語家を除き、顔と名前を一致させることは容易ではありません。お気に入りの落語家を探すときは、顔写真付きの落語家名鑑を参考にするとよいでしょう。

落語家の経歴はもちろん、所属する団体や一門、師匠と弟子の関係性などもわかって興味深いですよ。

寄席演芸家名鑑

寄席演芸の専門情報誌『東京かわら版』では、定期的に『寄席演芸家名鑑』を発行しています。最新版は2015年9月に発行された『オールカラー 東西寄席演芸家名鑑』です。

東京だけでなく、上方の落語家も網羅したボリュームのある内容ですが、亭号や所属団体別の索引もついていて、お目当ての落語家を探しやすくなっています。落語好きなら1冊は持っていたい本です。

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上方噺家の多くが所属する上方落語協会

4つの団体に分かれている東京の落語界とは対照的に、関西ではほとんどの落語家が『上方落語協会』に所属しています。上方落語協会の概要と、立ち上げに関わった主要な人物を紹介します。

昭和32年に設立。関西の落語を盛り上げる

上方落語協会は、昭和32年4月に3代目林家染丸(そめまる)を会長として結成されました。同協会が道頓堀文楽座で『落語土曜寄席』を主催したのをきっかけに、関西地方で続々と落語の定期公演が始まるなど、上方落語界を大きく盛り上げる役割を果たします。

上方落語協会の副会長を務め、演芸界で初めて文化勲章を受章した3代目桂米朝は、協会設立や上方落語界の隆盛に尽力したことで知られています。

上方落語協会を立ち上げた一員、桂米朝の半生

上方落語協会の立ち上げには桂米朝のほか18人の落語家が関わっています。とくに結成時副会長に就任した桂米朝は、低迷していた上方落語を復活させ、さらに発展させた功労者です。

漫才ブームで落語人気が急落する苦しい状況を地道な努力で乗り越え、上方落語復活後は若手落語家の指導育成にも熱心に取り組んできました。その功績が認められ、文化勲章のほか、1996年には人間国宝にも認定されています。

家系一覧

上方落語には以下の8つの家系が存在します。笑福亭鶴瓶が所属する笑福亭松鶴(しょかく)一門や、タレントとしても活躍中の月亭方正(山崎邦正)が所属する、桂米朝一門が有名ですね。大阪落語の祖を襲名した家系もありますよ。

  • 笑福亭松鶴一門
  • 森乃福郎(もりのふくろう)一門
  • 桂米朝一門
  • 橘ノ円都(たちばなのえんと)一門
  • 桂文枝一門
  • 桂春団治(はるだんじ)一門
  • 露の五郎兵衛一門
  • 林家染丸一門

気になる落語家の破門について

落語家について調べるときに気になるのが、弟子が師匠に追い出される破門ではないでしょうか。破門の回数が話題となった、豪快な落語家も何人か知られています。

破門に至るまでの事情や、破門された後どうなったのか、有名落語家のエピソードを紹介します。

破天荒と呼ばれる立川談志の破門回数が凄い

2011年に75歳で亡くなった立川談志は、その落語の才能と破天荒な生きざまが語り継がれる落語界の風雲児です。16歳で5代目柳家小さんに弟子入りした彼は、入門後すぐに頭角を現しました。

しかし目上の人に対する無礼な言動など、素行の悪さから何度もトラブルを起こしては、破門されます。その数はなんと80回を超え、世間では破門と言えば立川談志と言われるほど有名でした。

落語の実力は申し分なかった立川談志ですが、度重なる破門のおかげで二ツ目から真打ちになるまでに通常の倍近くの歳月がかかり、5年も遅く入門した後輩にも先を越されてしまいます。いろいろな意味で、伝説を作った落語家と言えるでしょう。

弟子の志らくは破門を拒否し人生が変わった?

立川談志の弟子、立川志らくも師匠の談志から破門を言い渡されたことがあります。これは素行の悪さなどではなく、当時の落語立川流の規律だった、上納金や築地市場での修業を拒否したことが原因です。

しかし、志らくは破門を宣告されてもかたくなにこれを拒否し続けました。すると談志はなぜか、破門を取り下げます。

その後真打ちまで昇進した志らくでしたが、落語への情熱を失い映画製作や劇団の設立に着手します。しかし、どれも上手くいかず、現在は初心にかえってもう一度落語と向き合い、真摯に取り組んでいます。

もし破門を拒否しなかったら、または規律に従って築地で修業していたら、その後の志らくの人生は大きく変わっていたかもしれませんね。

三遊亭好楽の破門理由とその後

笑点のメンバーとしてお茶の間でも人気の三遊亭好楽(こうらく)も、前座の頃は酒の飲み過ぎで失敗し、師匠である8代目林家正蔵からよく破門されていました。笑点のレギュラーを降ろされ、仕事が減って酒浸りの日々を過ごしていたこともあります。

しかし家族の支えで持ち直し、笑点レギュラーにも見事に復帰した後は、現在は自宅に寄席をオープンするなど、落語界への恩返しともいえる活動をしています。

立川談志も三遊亭好楽も、何度も破門されては復帰しているという点が、落語の懐の深さを感じさせ、興味をそそられます。

奥深い落語家の世界

300年以上も前に始まり、江戸と上方で独自の発展をとげ現在に続く落語は、師匠と弟子の深い絆が特徴的な、奥の深い伝統芸能です。

人々に笑いを提供する芸能は世の中にたくさんありますが、長い歴史と独特のしくみに支えられた落語の笑いには、日本人の魂に直接届く味わい深さがあります。紹介したエピソードを心の片隅に留めつつ、奥深い落語の世界を楽しんでください。

 

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