世界遺産の富岡製糸場とは?成り立ちから登録理由までをご紹介

2019.11.25

日本には複数の世界遺産がありますが、富岡製糸場もその一つ。この記事では、富岡製糸場の成り立ちから世界遺産への登録理由までをご紹介します。

富岡製糸場について

群馬県富岡市にある富岡製糸場(とみおかせいしじょう)は、1872年(明治5年)に開業し、当時日本初の本格的な器械製糸工場として操業を開始し、1987年に操業停止するまで、100年以上の長きに渡り日本の製糸産業を支えてきました。

現在でも開業当時の繰糸所や繭倉庫などが現存しており、世界遺産だけでなく、国宝および重要文化財にも指定されています。

富岡製糸場は官営の器械製糸工場だった

開業当初、富岡製糸場は官営、つまり明治政府が管理する器械製糸工場でした。開国直後の日本では、生糸、蚕種、茶などの輸出が伸び、重要な産業となっていたからです。

その勢いは凄まじく、ピーク時には日本からの輸出品の約86%を生糸と蚕種が占めるほどでした。しかし、急速な市場の拡大に生産が追い付かず、質が低下し始めると、1868年頃からは下降に転じてしまいます。

明治政府はこの下降を食い止めるために策を講じ、その結果完成したのが富岡製糸場だったのです。

富岡製糸場は所有者が何度も変わっている

明治政府による官営工場として建てられた富岡製糸場ですが、その後は度々所有者が変わっています。

まず1893年に三井家に所有者が移転し、その9年後の1902年には原合名会社が所有することとなります。そして1939年に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)が買い取ります。

後述しますが、この片倉工業が富岡製糸場の世界遺産登録に大きく貢献することになるのです。

世界遺産登録は富岡製糸場と絹産業遺産群

富岡製糸場が世界遺産に登録されたのは、2014年6月21日のことでした。(厳密には、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として登録)

群馬県知事が「ユネスコ世界遺産登録するためのプロジェクト」を公表したのが2003年のことですから、10年以上かけてようやく実った世界遺産登録だったのです。

「石見銀山遺跡とその文化的景観」(2006年推薦、2007年登録)以来2件目の「日本国内産業遺産」であり、推薦が決まった当時は大々的にニュースで取り上げられていました。

ちなみに、世界遺産暫定リストに記載されている名称は「富岡製糸場」ですが、史跡、国宝、重要文化財としての名称は「旧富岡製糸場」となっています。

富岡製糸場が世界遺産になった理由

富岡製糸場の世界遺産に登録には、1995年から2007年まで富岡市の市長を務めた今井清二郎氏が大きく貢献しています。

今井清二郎氏は、日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも影響をおよぼした富岡製糸場に強い関心を抱き、当時の所有者であった片倉工業と交渉を重ねたそうです。

もし今井清二郎氏の働きかけがなければ、富岡製糸場が世界遺産に登録されることはなかったかもしれません。

富岡製糸場は保存状態が良かった

今井清二郎氏の交渉相手であった片倉工業もまた、富岡製糸場が世界遺産に登録されるのに大きく貢献しています。

というのも、片倉工業は富岡製糸場が操業を停止した後も、「売らない、貸さない、壊さない」の方針を頑なに守り、維持と管理に莫大な費用を費やしていたからです。

修復工事の際には、当時の工法で復原することにこだわっていたそうで、そのおかげで、富岡製糸場は良好な状態を保ってきたと考えられます。

この良好な保存状態がなければ、世界遺産への登録はなかったことでしょう。

日本の産業発展に影響を与えた富岡製糸場

富岡製糸場は明治から昭和にかけて、日本の産業発展に大きな影響を与えました。その功績を称えるかのように、片倉工業によって大切に管理され、今井清二郎氏らの働きによって世界遺産にまで登録されています。まさに、過去へのリスペクトが生んだ世界遺産といえるのではないでしょうか。

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