知の巨人・フーコーの思想を『狂気の歴史』と『監獄の誕生』から読み解く。

2019.11.06

20世紀後半の思想家ミシェル・フーコー。構造主義者ともポスト構造主義者とも呼ばれる彼の、その仕事とはどんなものだったのでしょうか。『狂気の歴史』『監獄の誕生』という2つの著作から、フーコーの問題意識と業績を読み解きます。

フーコーがテーマにしたもの

まずはフーコーの主な書籍と、そこに見て取れるフーコーのテーマを見ていきます。

ミシェル・フーコーの主な著作

ミシェル・フーコー(1926-1984)は20世紀後半のフランスの哲学者です。

博士論文として書き上げた『狂気の歴史』を1961年に出版、その後1966年に出した『言葉と物』がベストセラーとなり、思想界で名をあげます。その後も大学教授職のかたわら、『知の考古学』『監獄の誕生』『性の歴史』などを発表しました。

本のタイトルからわかるとおり、フーコーの仕事は社会史というくくりに入ります。人間社会のいろんな慣習や制度がどのように誕生してきたのか、その歴史を解明しようとしたのです。

いまあるものはずっとあったのではない

私たちは、いまある制度や慣習はずっと昔からそうだったという常識に囚われています。

たとえば、精神疾患とは医者が科学的に判定する病気だ、体操とは自分の健康のためにするものだ、などと考えています。

フーコーが指摘したのは、そうした制度や慣習は昔からずっとそうだったわけではないという点でした。そして、なぜ近代になって今の形になっていったのか、そこには知と権力の結託があるとフーコーは主張したのです。

『狂気の歴史』

現代の常識を相対化し、知と権力のはたらきを暴く。そうしたフーコーの仕事を、『狂気の歴史』で具体的に見てみましょう。

神秘を身近に感じるためだった「狂気」

人は「正気」と「狂気」に科学的な方法によって分けられる、こうした考え方は実は近代になってはじめて生まれたものだとフーコーは指摘します。

近代以前まで、狂人は社会の一員として積極的な役割を担っていました。その役割とは、「なんだかよくわからない」という神秘の存在を私たちに見せつけることです。悪魔に憑りつかれた身近な例として、あるいは神に近づきすぎた証拠として、理解不能な神秘があることを周囲の人々に示すのが、狂人という存在でした。

この状況が17世紀になって変わります。近代的な都市・家族・国家の形成にしたがい、社会は標準的な人間だけが住むところとなり、そこから外れる存在は排除されるようになったのです。

分類され管理される「狂気」

狂人をはじめ浮浪者、奇形、乞食、貧民、同性愛者など、あらゆる「非標準的な人間」が隔離・監禁・排除されました。そして時代が下るにつれ、これらの人々は理性によって科学的に分類され、それぞれの施設へと隔離場所を細分化されていきました。

狂人は浮浪者などと区別され、治療すべき病気と分類されます。さらに時代が下ると、「症状」の観察によって病名が名づけられ、それぞれが合理的に説明された精神病となったのです。

ここには、公共に反するあらゆる存在を科学的な知によって分類し管理する、表向き穏やかな顔をした権力が見いだせます。つまりフーコーは「狂気の歴史」を通して、近代における権力が科学的な知を隠れ蓑に人々を支配していったさまを、暴いたのでした。

『監獄の誕生―監視と処罰』

権力が科学的な知を隠れ蓑に人々を支配する、こうした構造は、処罰の歴史にも見てとることができます。

精神的な刑罰「パノプティコン」

処罰または刑罰とは、人が権力にたいして服従するよう仕向けられることです。中世ヨーロッパでは、残酷な身体刑がおもな刑罰の方法でした。

しかし近代になると、人道的な観点から、身体ではなく精神を対象にした刑罰へと変わります。こうして、受刑者を権力に服従させるような装置、つまり監獄が誕生しました。

監獄が刑罰であることのもっともわかりやすい例は、功利主義者ベンサムが考案した「パノプティコン」です。円状に配置された独房はつねに中心から監視されます。受刑者は否応なく規律正しい生活と従順な身体を手に入れることになり、それが結果として受刑者に服従の精神を植え付けるのです。

権力は「従順な身体」をつくる

ここで言う「従順な身体」とは、権力にとって扱いやすく、使い勝手のいい身体のことです。この従順な身体は監獄だけでなく、軍隊や学校や会社などでも生み出されています。

たとえば日本において、「気をつけ」「休め」「回れ右」などの基本教練は近代になってはじめて軍隊で使われ、それが学校にも導入されました。また体を操るための訓練も「体操」という名称で学校に導入され、いまではラジオ体操として会社にも定着しています。

「体操はこんなに健康にいい」という科学的な知を隠れ蓑に、権力は私たちの身体をも形作ってきた……。フーコーはこのような盲点を『監獄の誕生』において明らかにしたのでした。

「知の権力」を暴こうとしたフーコー

以上、『狂気の歴史』『監獄の誕生』という2著作の内容をかんたんに見てきました。

一言でいえばフーコーの仕事とは、知そのものの権力ぶりを白日のもとに晒そうとしたものといえるでしょう。どんな分野であれ、科学的な知見がこの世界を・社会を・人間を分類しカタログ化しようとするときには、かならずそこに管理と支配の論理がセットになっている、こう指摘したのです。

フーコーの主張は私たちに相対的な視点を与えてくれます。科学的な言説があふれる現代だからこそ、フーコーの本を読みなおす価値はより高いのかもしれません。

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