作家?起業家?肩書きの多い文豪「菊池寛」の代表作を紹介

2019.10.30

20世紀の日本文学の話題において度々名前が挙がる「菊池寛」。作家でありながらも数々の職業を請負い、起業家、ジャーナリストなど多くの肩書きがあることで知られています。そんな彼が残した作品は一体どのようなものなのでしょうか?この記事では菊池寛の素顔に迫るとともに、歴史に名を残した代表作たちを紹介していきます。

菊池寛という男

坂口安吾や太宰治といった「無頼派」に代表されるように、戦後の文壇は敗戦という強烈な体験を経た小説家たちが、これまでの文学のあり方を問い直そうとする動きが高まっていました。様々な流派や思想が入り乱れ、混沌の中で切磋琢磨を繰り返していた時代です。

そのような時代で多彩な活動をしていた菊池寛は、現代文学においても評価されるに値する数々の功績を残しました。ここからはそんな菊池寛の主な活動や、著名作家との交友関係などについて解説していきます。

雑誌「文藝春秋」の創設者

菊池寛は19世紀後半に香川県で生を受けました。幼少の頃より優秀な成績を集め、名門校に進学するも学生生活の中での不祥事などで大学を二転三転し、最終的には京都帝国大学を卒業することとなりました。

その後は人気作家として大成し、財を成した時点で自身と同じ若手作家を取り扱う「文藝春秋」を設立します。文藝春秋は様々な人気作家を抱える人気雑誌となり、現代においても様々な賞を企画する出版社として知られています。

同期には芥川龍之介が

作家であり実業家でもあった菊池寛は、当時の文壇において様々な文豪たちと交流を持っていました。

その中でも自身と同期であった作家「芥川龍之介」とは良好な関係をもち、文藝春秋が創刊した折には芥川の作品を巻頭として、芥川作品のさらなる流通に貢献しました。後年芥川が急逝した際には葬式中に号泣したとされています。

また、芥川死後には、文藝春秋社によって選考される「芥川賞」が設立され、後の文学界の発展に多大な貢献を果たしました。

菊池寛の代表作

作家でありつつ劇作家でもあった菊池寛。その作風は、読む人を共感させつつ世界に引き込む魅力的な文体で知られています。菊池作品は同年代の作家に比べて流通は少ないものの、読書家にとってはまたとない名著揃いです。ここからはそんな菊池寛の代表作を紹介していきます。

恩讐の彼方に

「恩讐の彼方に」は1919年に出版された短編小説です。大分県に実在する手彫りのトンネルを掘った江戸時代の僧侶「禅海」の功績を元に、脚色を加えて執筆されています。主人公の禅海へ復讐を図った敵の息子との感動的なやりとりは、作品の知名度を超えて知れ渡っています。

真珠夫人

「真珠夫人」は1920年に発表された菊池寛の長編小説です。当時の日本を舞台に様々な思惑が錯綜する社交界を魔性の女「瑠璃子」を中心に描いています。その悲劇的とも取れるストーリーは、当時の女性たちの間で絶大な人気を誇りました。

菊池寛が翻訳した有名作品

菊池寛は、最終的には京都帝国大学の英文科を卒業しています。英語が堪能というバックグラウンドもあり、彼には英米文学の翻訳家という一面もありました。ここからは菊池寛が和訳を担当した中でも、世界的に有名な作品を紹介していきます。

フランダースの犬

「フランダースの犬」は、1872年にイギリスで発表された同名作品です。英語に精通していた菊池寛は、1929年の興文社発行版で日本語訳を担当しました。その文体は児童向けながらもしっかりと作り込まれた上品なものとなっています。

もちろん、フランダースの犬が日本でこれほど知られるようになったのは、1975年に放映されたアニメ作品がきっかけ。この名作アニメは繰り返し再放送され、劇場版が作成されるなど、日本アニメの傑作として心に刻み込まれています。

こうした傑作が生まれたのもまた、原作を日本語に翻訳してくれた菊池寛の功績があったからこそでしょう。

残された名著と功績たち

菊池寛はさまざまな名著を残した優れた文学者であっただけでなく、文学界全体の発展に多大な功績を残した人物です。菊池寛がいなければ、今日でも発表のたびに話題を集める「芥川賞」は存在しなかったでしょうし、今日の日本文学のこれほどの発展もなかったかもしれません。

作家、翻訳家、実業家として活躍した彼の著作に、ぜひ触れてみてください。

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