松本清張の不朽の名作「砂の器」を解説。原作小説と映像化作品の違いは?

2019.10.18

松本清張の「砂の器」は、1974年公開の映画版が数々の賞に輝き、TVでも2019年を含め過去6回ドラマ化されるなど、清張ミステリーでは最も有名な作品の一つです。ただ、原作小説と映画・TVドラマでは、かなりの違いがあることをご存知でしょうか?

松本清張の名作ミステリー「砂の器」とは

「砂の器」は、1960年から61年にかけて読売新聞夕刊に連載された長編推理小説であり、松本清張の代表作の一つです。

1974年に野村芳太郎監督によって映画化されるや、毎日映画コンクールで大賞を含む4部門を受賞したほか、キネマ旬報賞脚本賞、ゴールデンアロー賞作品賞、ゴールデングロス賞特別賞、モスクワ国際映画祭審査員特別賞など多くの映画賞を獲得。当時正統派の二枚目俳優だった加藤剛が、殺人犯を演じたことも話題となりました。

その後TV6回ドラマ化され、田村正和、佐藤浩市、中居正広など当代きっての人気者が犯人役を好演。最近では20193月にフジテレビ開局60周年記念ドラマとしてリメイクされ、ジャニーズの中島健人が犯人役を演じたのも記憶に新しいところです。

原作小説「砂の器」のあらすじ

ある朝、蒲田駅の操車場で男の扼殺死体が発見されたことから物語は始まります。盛り場での聞き込み捜査により、被害者は東北訛りであると判明。被害の前夜に男が酒の席で発した「カメダ」という言葉を手がかりに、老練な刑事の今西と若手の吉村が粘り強く捜査を続け、断片的な手がかりを少しずつ集めていきます。

しかし、彼らの努力を嘲笑うかのように第二、第三の殺人事件が発生。やがて今西は、「ヌーボー・グループ」という新進芸術家集団の存在が常に事件と絡んでいることを感じ、事実の断片が次第に脈絡を持ち始めたことに気づきます。そして、新進のアーチストとして栄光の座につこうとしていた一人の若手音楽家・和賀が容疑者として浮かび上がり…、というのがおおよそのストーリーです。

原作で重大な鍵を握っているのが、原作発表当時もまだ社会的偏見が根強く残っていたハンセン病(作品内では癩病)です。犯人の和賀は、ハンセン病が理由で村八分にされた父親と諸国をさまよい歩いた末、自らの戸籍を改ざんした過去を隠蔽するために殺人を犯した設定となっており、ハンセン病患者とその家族が抱える苦悩と、差別・偏見に対する作者の問題意識が、作品の底流となって物語の深みを支えていました。

映画・TVドラマ版「砂の器」との主な違いは

人気作家松本清張の新聞小説ということで連載当時も話題になった「砂の器」ですが、初出から60年近く経った今もなお、TVドラマとして何度もリメイクされているのは、映画版「砂の器」の影響が大きいと言えるでしょう。

ただ原作小説と映像化作品には、明らかな設定の違いがいくつもあります。その中から2つだけピックアップしてみました。

犯人の職業はピアニストではなかった

犯人の和賀は原作では新進の前衛音楽家であり、ピアニストではありません。

しかし映画でピアニスト設定となったことで、自身が奏でるピアノ交響曲に乗り、演奏する姿と哀しい過去の回想シーンがクロスオーバーする、映画史上に残る感動的な映像美として結実しました。

その後リメイクされたTVドラマ版でも、和賀は全てピアニストとして描かれています。

感動的な父子の巡礼シーンは原作にはなかった

映画版を観た人で、故郷を追われた父子がお遍路姿で放浪するクライマックスシーンに胸を打たれた人は多いでしょう。しかし原作に巡礼シーンはなく、「故郷福井を出た後、どうやって島根にたどり着いたかはこの親子しか知らない」と一行で語られているだけ。

この一行に命を吹き込んだのが映画版であり、「砂の器」を映像化する上で欠かせないシーンとして、その後のTVドラマ版でも踏襲されています。

原作と映画、どちらもおすすめの「砂の器」

映像化された自らの作品に対して辛口な発言が多かった松本清張ですが、映画「砂の器」に関しては「原作を超えている」と絶賛しました。

小説と映画でそれぞれの世界観を楽しんだ後、時代に合わせたアレンジを施したTVドラマ版へ…という形で、いろんな角度から楽しんでほしい名作です。

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