14世紀の詩人・ダンテとは?ヨーロッパ文学史上最大の傑作「神曲」についても解説

2019.10.15

ダンテ・アリギエーリ(1265年~1321年)は、イタリアの詩人、哲学者、政治家です。映画「インフェルノ」ではダンテのデスマスクが登場して話題になりました。ダンテとはどんな人物だったのでしょうか?代表作「神曲」をもとにご紹介します。

ダンテについて

ダンテの記録はあまり残っていません。手がかりとなるのはダンテの伝記やダンテ自身の作品「新生」や「神曲」の記述です。

少年時代~大学時代

ダンテ・アリギエーリは、イタリア・フィレンツェで金融業を営む小貴族の家柄に生まれました。少年の頃は修道院で見習いの修道士として修行し、大学では哲学や法律学、天文学などを学ぶなど、当時の貴族としての教養を学んでいきました。

生涯を貫く恋

ダンテは少年~青年期を通じ、烈々な恋の病に侵されていました。その相手が、ダンテの詩文作品「新生」の中にも登場する少女ベアトリーチェ。ダンテは9歳のときに彼女にあって、以来魂が奪われるほど恋焦がれますが、それゆえに彼女に対してアプローチをすることさえできなかったといいます。

結局二人は結ばれることなく、ダンテは自身の許嫁と、そしてベアトリーチェは銀行家と結婚することになります。さらに最愛のベアトリーチェが24歳という若さで病死すると、ダンテはあまりの悲しみから狂乱状態に陥ってしまったといいます。その後生涯をかけて執筆した「神曲」の中では、ベアトリーチェは永遠の存在として描かれています。まさに生涯を貫く恋だったといえるでしょう。

ダンテのデスマスク

ダンテのデスマスクは映画「インフェルノ」にも登場して話題になりました。ダンテのデスマスクは現存しており、フィレンツェの「ダンテの家博物館」に3種類のデスマスクが展示されています。デスマスクとは、石膏やロウによって死者の顔を型どり、さながら仮面のようにして作られた造形物のことを指します。

一般的に、ヨーロッパにおけるデスマスクは、故人の死を悼むために作られることはさほど珍しいことではありません。しかし、この時代(14世紀ごろ)にデスマスクが作られ、それが現在まで残されているという人物は極めてまれであり、ダンテが生前から「死後に名を遺すべき偉人」として大変な名声を得ていたであろうことが推察されます。

代表作「神曲(しんきょく)」について

「神曲(しんきょく)」は地獄篇34歌、煉獄篇33歌、天国篇33歌の計100歌から成る壮大な詩作品であり、ダンテが生涯をかけて執筆した集大成といわれています。ちなみにダンテ自身は「神曲」をコメディと捉えており、そのためタイトルを「喜劇」とだけ付けました。日本語訳で「神曲」となったのは、森鴎外が著書「即興詩人」の中でそう訳したためといわれています。

この作品はヨーロッパ古典文学史上最大の傑作とも呼ばれ、その後の文学はもちろんのこと絵画や音楽、ひいてはヨーロッパ文化全体に絶大な影響を及ぼしました。そんなダンテの「神曲」のあらすじを、簡単に紐解いていきましょう。

「地獄篇」

物語は、人生の道半ば、35歳を迎えた主人公「ダンテ」が罪を清めるための暗い森へ入り彷徨うところから始まります。そこへ古代ローマの詩人・ウェルギリウスが現れ、ダンテの先導者として地獄を案内してくれることになります。これは、ベアトリーチェという女性がウェルギリウスに懇願し、ダンテの助けになるよう仕向けてくれたからでした。そうして案内された地獄では、犯した罪によって人々が分類され、罰せられていました。

「煉獄篇」

地獄を抜けた先にある煉獄は、悔悛の遅かった人が待たされる場所。煉獄にいる人々は、生前の罪を償いながらその身を浄(きよ)め、やがて天国へと昇っていくのです。ダンテ自身もまた、煉獄山を登りながら、徐々にその罪を浄められていきます。そして山頂で、ベアトリーチェが現れ、ウェルギリウスは去り、ここから物語はベアトリーチェが先導することになります。

「天国篇」

ベアトリーチェに案内されながら、ダンテは天国へと昇ってゆきます。天国の中でも最上の世界である「至高天(エンピレオ)」からは、ベアトリーチェにかわって聖ベルナールがダンテを案内し、ダンテのためにマリヤへと祈りを捧げてくれます。天には真っ白な薔薇の形をした祝福された人、天使、三位一体の神秘を見たダンテは、神の愛を思い知り、真に宗教的な解放を得るのです。

「神曲」に影響を受けた著名人

ダンテの「神曲」は芸術家、文学家など多くの人に影響を与えました。ダンテより700年近くも後の画家であるサルバドール・ダリも「神曲」を題材に7つの挿絵を描くなど、その影響力はいまなお全く衰えを知らない、西洋文学における大傑作と目されています。ここからは、そんな「神曲」が与えた後世の芸術への影響を、少しだけご紹介します。

オーギュスト・ロダン(1840年~1917年)

ロダンは近代彫刻の父と呼ばれるフランスの彫刻家で、日本では特に「考える人」の作者としても有名です。

あるとき、ロダンにフランスの国立美術館のモニュメントの制作依頼が舞い込みます。そこで、ロダンはダンテの「神曲」地獄篇の中に出てくる「地獄の門」を制作しようとします。

しかし、8年後に美術館から制作中止命令をいわれたロダンは、自費で「地獄の門」の制作を続け、自分の所有物としました。ちなみに有名な「考える人」は、門を構成する上でのひとつの像として造られたものでした。

フランツ・リスト(1811年~1886年)

ダンテの「神曲」を愛読していたリストは、「巡礼の年第2年イタリア」の第7曲にソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」を書きました。何度かの改訂を経て1849年に完成しました。

「神曲」から地獄篇にインスピレーションを得たリストは「悪魔の音程」といわれる増4度の音程を繰り返し使用しています。演奏時間が約17分要する大曲で、ダンテ・ソナタといわれることもあります。「ピアノの魔術師」といわれたリストらしい華やかな演奏技巧を要する作品で、ピアノリサイタルにもよく登場する作品です。

サルバドール・ダリ(1906年~1989年)

ダンテ生誕700年を記念するための挿絵の制作を依頼されたダリ。死後の世界を水彩画で表現しました。「神曲」の地獄篇の名場面を鬼才ダリならではの感性で描き上げました。古典文学とダリの世界観とのコラボレーションともいえる作品です。

生存中は故郷フィレンツェへ戻れなかったダンテ

13世紀の西欧世界でもっとも繁栄したといわれる都市国家フィレンツェ。国内の対立戦争で負けたダンテはフィレンツェを永久追放され、2度と故郷に戻ることができませんでした。その怒りや哀しみ、ベアトリーチェへのかなわぬ想い、そうしたあらゆる人間的感情が、「神曲」を書くきっかけとなったのかもしれません。ダンテの亡骸は故郷ラヴェンナ市の聖フランチェスコ寺院にひっそりと眠っています。

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