千歳飴(ちとせあめ)にはどんな意味があるの?七五三祝のための重要な飴

2019.10.13

7歳、5歳、3歳になった子供の成長を祝う行事が七五三です。神社などに赴いて感謝や祈願を行うものですが、その際に食べられるのが千歳飴(ちとせあめ)。この千歳飴にはどのような意味があり、なぜ子供の成長を祝う行事である七五三に食べられるのか歴史とともにその由来を解説します。

千歳飴が誕生した由来と意味について

千歳飴はいつ頃に誕生したのでしょうか。その由来については二つの説がありますので、それぞれご紹介します。

江戸の飴売りが作り出した千歳飴

千歳飴が誕生したのは江戸時代といわれています。江戸時代において飴は庶民にも広まっていたお菓子でしたが、1825年(文政8年)に刊行された随筆の還魂紙料の中に、千歳飴についての記述があります。

還魂紙料によれば、元禄宝永の頃(1688年〜1711年頃)に江戸の浅草に七兵衛という名の飴売りがいて、千年飴という名称で千歳飴の販売を始めたとのことです。

千年飴の千年とは、千年も寿命を保つようにという意味で、長寿の願いが込められた名称です。現代の千歳飴にも通じる細長い形状は、粘り強く長生きすることを表しており、飴の色は紅白に染め分けられています。

大阪の飴屋が広めた千歳飴

一方、上記の説とは別に、同じく江戸時代の元禄の頃に、大阪の飴屋である平野屋が江戸に進出した際に、浅草寺の境内で千歳飴を販売したところ、大評判になったという説もあります。

いずれの説にせよ、飴が庶民に広く親しまれていた江戸時代において何らかの形で千歳飴が誕生したようです。

縁起の良さなどから評判になり、お祝い返しとして親戚や近所に配られるようになるなど、千歳飴は江戸を中心に広まっていきました。

神社のお参りで縁起物として子供達に配られることもあったようで、東海道五十三次で有名な歌川広重の浮世絵にも、千歳飴を持ってお参りをする当時の丁稚の姿を見ることができます。

千歳飴を食べる七五三の歴史について

千歳飴を食べる行事は七五三ですが、その歴史についてご紹介します。

七五三の歴史について

子供の成長を祝う七五三が現代のような形で始まったのは、江戸時代の天和元年(1681年)であるという説が有力です。時の江戸幕府の五代目の将軍である、徳川綱吉の嫡男の健康を祈願することから広まったとされます。

元は将軍のお膝元である関東圏を中心に行われていましたが、やがて京都や大阪でも実施され、次第に全国的な行事として広まっていきました。

行事自体は江戸時代に行われていましたが、七五三という名称で呼ばれるようになったのは明治以降です。徳川綱吉の時代に広く普及する前は祝児詣(いわいごもうで)などと呼ばれ、3歳、5歳、7歳の年齢によって実施される日も異なっていました。

千歳飴の形状と袋のイラストについて

千歳飴の形状と、飴を入れる袋に描かれているイラストの意味をご紹介します。

千歳飴の形状について

千歳飴の代表的な製法としては、砂糖や水飴を高温で煮詰めた後、原料を平らに伸ばして冷却します。飴が冷えたら切り口が欠けないように真っ直ぐに切断しますが、千歳飴は直径が約15mm程度の長さにします。

伝統を重んじる古くからの菓子屋などでは、千歳飴を作った後に神社に納め、しっかりとお祓いをしてから流通させる場合もあります。

千歳飴の袋の絵柄について

千歳飴を入れる袋に描かれている絵柄には意味があります。袋に描かれることの多い絵柄として鶴亀の絵がありますが、鶴は千年亀は万年というように、長寿を表したものです。

また、同じくよく描かれる松竹梅の絵は、松と竹は冬になっても枯れずに青々としていることから、梅は冬に負けずに早めに咲くことから、それぞれ健康を象徴しています。

千歳飴の由来を知って食べてみよう

千歳飴は七五三の広まりとともに、行事に欠かせないものとして普及したお菓子です。紅白に染められた飴の色や細く長い形状は、子供が長生きするようにという願いが込められたものです。

千歳飴が広まった当時は砂糖が貴重であったことから、子供だけでなく家族で千歳飴を食べていました。今度の七五三には、その由来を思い起こしながら千歳飴を味わっていただければと存じます。

その他のテーマ

ART

CULTURE

CRAFT

FOOD

TIME