ジョン・スチュアート・ミルの功利主義は、ベンサムをどう修正したのか?

2019.10.11

ジョン・スチュアート・ミルはベンサムにつづく功利主義者として知られていますが、彼がベンサムの功利主義をどのように修正したのかは、あまり知られていません。ここではミルの功利主義の内容を、彼の生涯に沿いながら見ていきます。

ミルの生い立ちとベンサム功利主義への葛藤

ミルは生まれたときから功利主義と深い関わりがありました。まず彼の生い立ちから見ていきましょう。

父親がベンサムの直弟子

ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)は19世紀のイギリスの哲学者・経済学者です。幼少期から父親の英才教育を受け、10歳前後ですでに古代ギリシア哲学や数学、政治経済学に通じていました。

このミルの父親というのが、ベンサムの直弟子でした。父はわが子に、「最大多数の最大幸福」をもたらす社会の改良者となるよう教育していたのです。ミル自身も自分の使命をそのように感じていましたが、しかし21歳のとき、ミルに精神の危機が訪れます。あらゆる意欲が減退し、うつ状態に陥りました。

幸福を追求しても幸福は逃げていく

ミルはベンサムの功利主義を疑いはじめます。人間は幸福を求める存在である、とベンサムは規定しました。これにミルは異論ありませんでしたが、しかし幸福そのものを目的として生きても、かえって幸福は逃げていくのではないか。利己的な快楽に走るのではなく、高尚な目的に向かうことで結果として人は幸福になるのではないか。

ここにおいてミルはベンサムと袂を分かちます。彼は幸福の基準を自分自身の快楽に置くのではなく、人と人との関係のなかに置く、新しい功利主義を出発させるのです。

ミルの名言に表れるその考え方

当時から功利主義に対しては、快楽至上主義だ、エゴイズムだ、少数派の切り捨てだ等の批判がありました。ミルはこの批判に、新しい功利主義でもって反論していきます。

利他的な意志こそが幸福に結びつく

まずミルは、動物的快楽と人間的快楽を区別しました。前者は食欲・性欲・睡眠欲などの本能的な快楽です。対して後者は、精神的な快楽です。

精神的な快楽のなかでもとりわけミルが重視したのが、人間の利他的な意志でした。多少自分を犠牲にしてでも人を喜ばせたい、みんなに幸せでいてほしい。こんな感情が結果としてその人にも快楽をもたらし、そして最大多数の最大幸福にいちばん結びつく、としたのです。

満足した愚か者であるよりも

つまりミルは幸福の質の違いを訴えたのです。お腹いっぱいの幸せよりも、空腹に耐えてがんばった仕事の達成感を。そして自分の幸せのための仕事よりも、他人の幸せのための仕事を。こういう質の違いは、ベンサムがあまり言わなかった点でした。

ミルの修正版功利主義の考え方は、以下のことばに端的に表れています。

満足した豚であるよりも、不満足な人間である方がよい。満足した愚か者であるよりも、不満足なソクラテスである方がよい。ージョン・ステュアート・ミル『功利主義』より

『自由論』で説かれた人間の自由の価値

ところで、人間が利他的な行動をはじめ諸々の幸福を追求するためには、自由であることが必要です。

国家は個人の自由を尊重すべき

ミルは自由の価値を、人が幸福を追求する土台、そして個人個人がその人間性を発展させていくための条件と捉えました。だから自由は、他人に危害を加えないかぎり、尊重されるべきものだとしました。

よってミルによれば、国家は個人が幸福を追求すること及び自由意志によって自らの人生を選択してくことを、妨げてはいけません。また、その障害となるような制度や慣習は改正されるべきです。

こうした考え方にもとづき、ミルの主著『自由論』では、たとえば薬品のラベルの注意書きは政府によって義務づけられるべきかなど、具体的な問題まで議論しています。

晩年の選挙法改正・女性参政権運動

ミルが晩年、選挙法改正運動や女性参政権運動に携わったのも、同様の考え方からきています。将来的に労働者も選挙権をもてば、より社会全体に関心をもつようになり、かれらは人間性を発展させられるだろう、こうしたミルの提言がやがてイギリスの第2回選挙法改正につながります。

また女性も自由に自らの人生を選べるようにすること、それが結果として最大多数の最大幸福につながるとミルは訴えました。『女性の隷従』という著書でも繰り広げられたこの主張は、その後のフェミニズムの隆盛につながっていきました。

ミルの墓は妻と並んでアヴィニョンに

ベンサムの功利主義を修正して、幸福の質の違いを重視したこと。とくに利他的な人こそ最大多数の最大幸福にいちばんつながるとして、功利主義に道徳を回復させたこと。そして幸福実現の土台として自由に価値を置き、そこから現実の社会問題を論じたこと。ミルの哲学における功績は、以上の点にあります。

ミルは1873年、フランスのアヴィニョンで亡くなりました。彼の墓は妻ハリエットと並んでいまもそこに置かれています。

その他のテーマ

ART

CULTURE

CRAFT

FOOD

TIME