ストリートアートの先駆者「キース・ヘリング」。代表作と人物について

2019.10.09

キース・ヘリング(1958年~1990年)は、アメリカの画家で、ウォーホル、バスキアと共に1980年代のアメリカ美術を代表するアーティストです。ニューヨークの地下鉄でサブウェイ・ドローイングを始めた彼の代表作や人物についてご紹介します。

キース・ヘリングについて

特徴的なアートで、一度見たら忘れない魅力があるキース・ヘリング。ユニクロのTシャツなど数々のブランドとのコラボでもお馴染みで、名前は知らなくてもキャラクターは見たことがある、といった人も多いと思います。そんなへリングの短き生涯と、ストリートを中心にした制作活動をご紹介しましょう。

生い立ち

キース・へリングは、ペンシルバニア州のカッツタウンという町に生まれました。エンジニアでアマチュアの漫画家だった父親からウォルト・ディズニーなどアニメのイラストの手ほどきを受け、このことはポップでデフォルメされたイメージを得意とする彼の作風に強い影響を与えました。

その後、彼は「The Ivy School of Professional Art」に入学し、グラフィックデザインを専攻しましたが、大学で学ぶグラフィックデザインに興味がわかず、すぐに退学することとなりました。

アーティストとして

最初に進学した芸術大学からは退学したキース・へリングですが、彼は決して芸術への興味を失ったわけではありませんでした。正式な絵の勉強を受けたわけでもありませんが、キース・へリングはアートを独学で学びながら、独自のスタイルでアート活動を続けていきました。

その後、ニューヨークに移り、School of Visual Arts大学に入学すると、後に1980年代のアメリカアート界をともに牽引することとなるバスキアらと知り合い、ニューヨークのアートシーンに基盤を作りました。キース・ヘリングはこのころから様々なアートイベントや展示を企画し、主宰するなど存在感を発揮するようになります。

サブウェイ・ドローイングで有名に

キース・へリングが一躍有名になったのは、サブウェイ・ドローイングと呼ばれる非合法な創作活動が発端です。

当時ニューヨークの地下鉄には、広告が出稿されておらず使われていない看板がいくつもありました。彼はそこに目を付け、地下鉄の駅に侵入しては看板に黒い紙をかぶせ、その上から白いチョークでシンプルな線画を描き始めます。多い時には、毎日40枚もの絵を描いていたといいます。

シンプルかつ斬新で目を引くキースの絵は、すぐにニューヨーカーたちの間で評判となり、やがてキース・へリングはストリートアーティストとして広くその名を知られることになりました。非合法な落書きから成りあがったアーティストとは、なかなか破天荒なエピソードです。

社会的な貢献活動

そんな少しグレーなイメージのキース・へリングですが、並行して社会貢献活動を盛んに行っていたことでも有名です。

特に有名なのが、彼自身の病にかかわる社会貢献です。キース・ヘリングは、1988年にAIDS(エイズ)と診断され、2年後の1990年にはわずか31歳の若さで亡くなってしまいます。そんな悲劇を背負った彼は、同じ悲劇を繰り返すまいと積極的にAIDS防止のメッセージを発信し、ときには自身のイメージやアートを寄付していました。

キース・ヘリングの代表作

世界中で愛されているキース・ヘリングの作品。色鮮やかで力強いタッチで描かれたシンプルなアートが彼の特徴です。彼の代表作をみていきましょう。

「アンディ・マウス」1986年

キース・ヘリングは、同時代を生きたアーティスト、アンディ・ウォーホルとの深い交友関係でも知られていました。同じアーティストとはいえ、アンディ・ウォーホルとは親子ほど年が離れています。ウォーホルとの交友関係は、キース・へリングがアーティストとして成功するうえで決定的なものとなりました。

そんな敬愛する大先輩をテーマにした「アンディ・マウス」は、アンディ・ウォーホルと某キャラクターを重ね合わせた4点の連作版画。ポップアートのアイコンと化した作品はウォーホルへのオマージュとして「アンディ・マウス」と名付けられました。

「Radiant Baby」(ラディアント・ベイビー)1982年

Radiantは光輝く、喜びに満ちたという意味で、鮮やかなカラー、力強いタッチで描かれた光り輝く赤ん坊が這う姿の「ラディアント・ベイビー」はキース・ヘリングのシンボルとなりました。キース・へリングの数あるモチーフの中でも最も有名なものの一つといえるでしょう。

「イコンズ」(笑う顔)1990年

目が覚めるような色鮮やかな作品。すぐにキース・ヘリングの作品だと分かる彼の強烈な個性を感じます。「Three Eyed(三つ目)」ともいわれています。

中村キース・ヘリング美術館

わずか31歳という若さで惜しまれながら亡くなったキース・ヘリングですが、日本に彼の美術館があります。山梨県の八ヶ岳の裾下に建立する中村キース・ヘリング美術館は、館長の中村氏が1980年後半から収集したキース・ヘリングの作品が約200点所蔵されている世界でも類を見ない美術館です。

八ヶ岳の斜面を生かしたスローブを降りると真っ暗な部屋に案内されます。闇の展示室には初期の個展の作品を晩年のキース・ヘリングが再度描き起こした作品シリーズ「ブループリント・ドローイング」と「サブウェイ・ドローイング」が展示され、暗闇を抜けると柔らかな光に包まれた「希望の展示室」があります。

お近くに訪れた際は、ぜひお立ち寄りください。

  • 施設名:中村キース・へリング美術館
  • 所在地:〒408-0044 山梨県北杜市小淵沢町10249−7
  • TEL:0551-36-8712
  • 営業時間:9:00~17:00
  • 公式ページ

ベルリンの壁もキース・ヘリングにはキャンバス

一見、子供の落書きのようにも見えるキース・ヘリングの作品。かのパブロ・ピカソからインスプレーションを得て描かれた作品が多かったといわれています。彼を一躍有名人にしたのはサブウェイ・ドローイングでした。地下鉄の黒板に白のチョークで描く彼のアートは、あっという間に多くの人々を魅了しました。彼にとって世界中の壁や建物がキャンバスだったのです。

その他のテーマ

ART

CULTURE

CRAFT

FOOD

TIME