フィヒテの哲学とはどんなもの?ドイツ観念論をまとめ上げたその思想に迫る

2019.10.08

ドイツ観念論者の一人として知られる哲学者フィヒテ。彼はカントの哲学をどう発展させたのでしょうか。世界史の教科書に彼が登場する理由と合わせて、フィヒテの思想をわかりやすく解説します。「観念論」や「事行」といった言葉の理解に役立てば幸いです。

なぜフィヒテは世界史に登場するのか

まずはフィヒテの生い立ちと、彼の世界史における役割から確認しておきましょう。

貧困から成り上がったシンデレラボーイ

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1762-1814)は18世紀後半から19世紀初めに活躍したドイツの哲学者です。貧農の家に生まれ、修学もできない少年時代を過ごしましたが、偶然ある貴族に認められて学資援助を受け、イェーナ大学へと進学しました。

貴族の死により援助が止まると、フィヒテは家庭教師で食いつなぎました。そのとき教材にしたカントの著作に興味をおぼえて彼を訪ねます。そこでカントの仲介により処女作『あらゆる啓示批判の試み』を発表、これが話題となり、フィヒテは一躍有名になりました。

国民意識を鼓舞した「ドイツ国民に告ぐ」

19世紀に入ると、ナポレオンがヨーロッパ各国に侵攻し、ドイツもその占領下となりました。こうした中で、フィヒテは「ドイツ国民に告ぐ」という計14回の連続講演を行います。

フィヒテが訴えたのは、ドイツ国民の統一とフランス軍からの解放、そして国民自身による国家統治でした。つまり人は宗教や職業ではなく国家というカテゴリーで結びつくべきだという考え方です。

こうした考え方がやがてドイツ帝国を誕生させます。フィヒテはまだ「国民」という意識の薄かった時代に、現代にまで続く国民国家という理念を先駆けて訴えた一人だったのです。

自我を根底に据えた観念論

では、そんなフィヒテの思想とはどのような内容なのでしょうか。

世界を一元的に説明しようとした

フィヒテが師事した哲学者カントは、その著作の中で、人の認識の限界を示しました。つまり人が経験できるものは「現象」として知ることができるけど、経験できない存在(神や魂や無限など)は「物自体」として認識の外にある、としたのです。

フィヒテはこれに満足できませんでした。そして「現象」と「物自体」という二分法ではなく、一元的にこの世界を説明しようとしました。そこでフィヒテが世界の根底に実在するものとして据えたのが、自我だったのです。

フィヒテの哲学史上の意味

フィヒテのいう「自我」とは、ヒュームが説くような経験の総体につけた単なる名前ではありません。またデカルトやカントの考えとも違います。それは、何物にもよらず存在する、根源的で絶対的な原理なのです。

私があるから世界もあるのだ、このまるでエヴァンゲリオンの世界観にも似た考え方は、哲学では観念論と呼ばれます。だからフィヒテの哲学史上の功績とは、精神的なはたらきを重視するカントの思想をさらにおしすすめ、ドイツ観念論としてまとめ上げた最初の人であるという点にあります。

フィヒテの哲学における「事行」とは

ただ、自我が何物にもよらず存在するのはなぜか、この理由を説明しなければ哲学じゃありません。そこでフィヒテが持ち出してきたのが「事行」という概念です。

自我は自分自身の存在を生み出す

フィヒテによれば、自我が存在するのはなぜかというと、自我自身が自分を生み出すからです。この、生み出すという行為と、生み出された自我という事物、この2つが一体となっている様を、フィヒテは「事行」と呼びました。

わかりやすいように、父親という例で考えてみましょう。はじめから父親である男性はいませんが、子供を抱き上げたり、妻から「パパ」と呼ばれたり、養育の義務を感じたりすることで、自らのなかに父親という役割を生み出していきます。そこでは父親としての行為と父親であるという自覚は一体・不可分です。

自我もこのようにして、根源的に発生し存在するのだ。フィヒテはそう説いたのでした。

ドイツ観念論はフィヒテから始まった?

そこからフィヒテはさらに論を進め、個々人の自我が障害をのりこえることによって絶対的な自我(絶対我)をめざす、と主張しました。後年になるほど、フィヒテは個人をこえた絶対的存在を強調するようになります。彼が国民国家の成立を訴えたのも、ひとつには国家という存在に個人をこえた高位性を感じたからでした。

フィヒテのこうした思想が、つづくシェリングやヘーゲルによって批判的に発展し、ドイツ観念論として哲学史上の一大潮流となります。ドイツ観念論はカントではなくフィヒテから始まる、という意見があるのもこういう理由からなのです。

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