川端康成が小説「古都」で伝えたかった思いとは。その解釈に迫る

2019.10.07

「古都」は、ノーベル文学賞を受賞した文豪・川端康成が、朝日新聞に1961年10月から翌年の1月まで連載した長編小説です。「古都」すなわち京都の美しい自然と伝統美を徹底的に描いたといわれるこの小説で、川端康成が伝えたかったものとは何だったのでしょうか。今一度セピア色になったページをゆっくり開いてみましょう。

小説「古都」とはどんな物語なのか。

「古都」は京都の西陣と北山杉を軸に繰り広げられる、数奇な運命のもとで奇跡のめぐり合いをする双子の姉妹千重子と笛子の物語です。

老舗呉服問屋のひとり娘として大切に育てられた千重子は、自分は本当は捨て子はないのかと悩んでいました。

春のある日千重子は、ふと訪れた場所で自分とそっくりな顔をした笛子と出会います。夏になり祇園祭の夜、千重子は八坂神社の御旅所で七度まいりをしている笛子と再会し、その場で笛子から千重子は自分の姉であると告げられます。

しかし、格式高い呉服屋の一人娘となっている千重子に対し、自分は木材加工をしながらなんとか生計を立てる貧しい独り身。姉妹でありながら身分が違うことに悩み、妹と一緒にいてよいのかを自問自答します。

そして冬のある日、笛子が初めて千重子の家に泊まります。千重子は、笛子にも自分と同じこの家の娘になることを望みますが、笛子は自分の存在が千重子の幸せの邪魔になると考え、一人山の村へと帰っていきます。

小説でありながら京都案内書にもなる?

この物語は春~夏~秋~冬と四季の流れに添って進んでいきます。

親子や姉妹、男女の機微も描かれていますが、さほど複雑ではなく出来過ぎなほど全てが善人なゆえに、人物は古都の風景の一コマに思えてくるほどです。

物語の流れに添って平安神宮の春の桜見、夏の祇園祭、秋の時代祭り、雪降る古都へと進み、その間にも葵祭、大文字、北野踊り、事始めなどの京都の代表的な季節行事や清水寺、錦市場、仁和寺、上七軒などの京名所が随所に登場します。

また、豆腐の「森嘉」、御池通りの「湯波半」、すっぽん料理で有名な「大市」など実在する京の有名店まで出てきます。

それぞれの行事や風習、祭りの起源なども詳しく書かれており、この一冊で「古都」京都の名所案内にもなるほどです。

川端康成が「古都」で書き残したかったこととは

川端康成は「古都」を睡眠薬を飲みながら夢うつつで書き上げたそうです。「執筆時の記憶はほとんどなく、何を書いたかさえもよく覚えていない」という旨の発言を川端康成自身があとがきに記載しています。

あまりに美しすぎる夢のような風景と物語、作品全体に漂う幻想的な雰囲気は、こうした執筆背景もあったのかもしれません。

作品の解釈は?

むろん小説には様々な解釈がありますが、川端康成がこの「古都」で書き残したかったのは、古き良き京都の姿、そして日本の美的感覚そのものであったといわれます。

高度成長期の真っただ中であったこの頃では、京都に関わらず全国で開発の波が押し寄せていました。川端康成は経済成長と共に人々の意識も変わりつつあることへの不信感を持っていました。

失われつつある伝統風景や豊かな自然、地道に伝統を守り継承する市井の人々の暮らしを克明に書き残すことが、変わりゆく日本へのささやかな抵抗だったのでしょう。

「古都」連載中に文化勲章を受賞したときの記者会見で、京都を舞台にした動機を川端康成は次のように語っています。

古い都の中でも次第になくなってゆくもの、それを書いておきたいのです。京都はよく来ますが、名所旧蹟を外からなでていくだけ。内部の生活は何も知らなかったようなものです。— 川端康成「文化勲章の記者会見にて」

日本語の美しさを再認識できる「古都」

京都の良さを余すことなく書かれた本書ですが、何よりも日本語の美しさを再認識できる本でもあります。

近年、正しい日本語を正しい言葉で書くことができない人が増えているそうです。

どれが正しい日本語であるのかは、それぞれの価値観によって違ってはきますが、少なくとも本書を読むことで、日本語がひとつひとつの情景をこれほど美しく表現できる文字なのだということを知ることができます。

「古都」の美しい文字使いや美しい文体を、ぜひ楽しんでみてはいかがでしょうか。

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