キェルケゴールの思想を5分で解説。「死に至る病」「単独者」とはどういう意味?

2019.10.04

キェルケゴールは『死に至る病』などの著作で知られる思想家です。彼の思想はどんな点が特異だったのか、19世紀におけるキリスト教の衰退、科学の隆盛、そしてヘーゲル哲学という3つとの関係から、その内容に迫ります。

キェルケゴールの本のテーマと時代背景

まず、キェルケゴールはどんなテーマで本を書いたのか、そこにはどんな時代背景があったのか、こうした点から見ていきます。

キェルケゴールの主著とそのテーマ

セーレン・オービエ・キェルケゴール(1813-1855)は19世紀デンマークの思想家です。コペンハーゲンの富裕な商人の家に7人兄弟の末っ子として生まれ、長じて父親の遺産を受け継ぐとともに、著述家として暮らしました。主著として『死に至る病』『あれか、これか』『不安の概念』などがあります。

キェルケゴールの本に貫かれているテーマは、キリスト教の信仰にまつわる問題でした。これは、彼の生きた19世紀ヨーロッパという時代背景と関係しています。

キリスト教を盲信できなくなった時代

中世のヨーロッパでは、「この世界の理解」と「魂の救済」はともにキリスト教が担っていました。しかし17-18世紀になると、「この世界の理解」のほうは信仰ではなく理性で行おうという風潮になります。そしてガリレイ、デカルト、ライプニッツ、ニュートンたちが自然の数学的把握という新しい方法をはじめます。

この方法に基づいた自然哲学がやがて科学となり、19世紀にはキリスト教のドグマを脅かすようになりました。つまりキリスト教はもう、ヨーロッパのすべての人々が盲目的に信じるものではなくなってきたのです。

「私の生きる意味は何か」からくる思想

キェルケゴールは敬虔なクリスチャンの父親のもとで育ちました。これが理性的なキェルケゴールを悩まし、彼の思想を生むもととなります。

ヘーゲル哲学にも満足できない

科学がこの世界をニュートン力学や原子・分子で説明しはじめた頃、哲学は科学と袂を分かち、独自の道を行きはじめました。まだ科学の踏み込めなかった「認識」という切り口で世界をとらえ、そこにキリスト教の神に代わる「絶対的な一者」を中心に据えることで観念論的な世界観を提唱します。19世紀初めには、ヘーゲルがこの哲学の第一人者でした。

しかしキェルケゴールは科学にも、そしてヘーゲル哲学にも、満足できませんでした。なぜならどちらもこの世界を説明するだけで、魂の救済のほうは答えを示していないように思えたからです。

一般論から「この私」への転換

ここに、キェルケゴールの問題意識があります。つまりキェルケゴールの関心は「人間とは」「自然とは」「この世界とは」等という一般論ではなく、いま現にここにある私の、生きる意味とは何なのかという点にあったのです。

人間を一般的に論じるのではなく、まさにここにある私という個別的な観点から論じる。これは抽象的であることを旨とするこれまでの哲学とはまったくちがうものでした。キェルケゴールが実存主義の先駆者といわれる所以です。

絶望と信仰との関係

キェルケゴールは、私の生きる意味というものを理性的に問いつめていくと、おそらくそういうものはない、という結論に至ることを知ります。これが彼の言う「死に至る病」、つまり絶望です。

絶望の淵における単独者

私の生には意味がある、こういう結論が理性的な思考からでは導けないならば、残された道はひとつ、そう信じることです。ここでキェルケゴールは再び神への信仰を取り戻そうとします。ただそれは従来の盲目的な信仰ではありません。

信じることは理性を放棄することだと知りながら、それでも救いを得るために神という可能性にかける。こうした絶望の淵でのギリギリの葛藤、キェルケゴールが『死に至る病』のなかで描いたのは、そんな近現代人の「単独者」としての姿でした。

キェルケゴールから実存主義へ

キェルケゴール自身は、理性による絶望と、信仰による救いのあいだで、死ぬまで揺れ動いた人でした。彼自身がそうした思索を膨大な日記として残しています。「キェルケゴールはキリスト教の信仰を新たな形で提示した」等と単純に言うことはできません。

ただ、彼の思想・哲学における「一般論」よりも「この私」を主体におく姿勢は、その後の実存主義として、20世紀哲学に受け継がれていくことになります。だからこそ彼は、実存主義の創始者といわれるのです。

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