20世紀建築界の巨匠「ル・コルビュジェ」。代表作と生涯を紐解く

2019.10.02

ル・コルビュジェ(1887年~1965年)はスイス出身。フランスで活躍した建築家です。フランク・ロイド・ライトらと共に近代建築家の巨匠です。視力が弱かったために時計装飾の道へ進まずに建築家になりました。誰もが認める彼の代表作をご紹介します。

ル・コルビュジェについて

幼いころから絵が上手だったル・コルビュジェ。実名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレといいます。近代建築の大家と呼ばれる彼の生涯を紐解いてみましょう。

生い立ち

ル・コルビュジェは、スイス北西部のフランス国境にほど近い、時計産業が盛んな町「ラ・ショー=ド=フォン」で生まれました。父も祖父も時計の文字盤絵付けをする職人で、母はピアノの先生でした。2歳上の兄は作曲家になるなど、芸術一家だったともいえるでしょう。

ル・コルビュジェは12歳のとき、時計職人となるため工業高校へ通いながらも、夜間の美術学校へ入学します。時計の彫金師になるための学内コンペでは常に上位になるなど幼いころから芸術的才能を発揮していましたが、彼は生まれつき視力がかなり悪かったため、細部まで高度な作業が必要な時計装飾の道にすすむことは困難でした。

一方美術学校においては、そのすぐれたセンスからめきめきと頭角を現していきます。結局のところ、工業学校を続けることは断念し、美術学校の昼間コースに入学。このときから、ル・コルビュジェは芸術家としての道を本格的に歩んでいくことになります。

17歳のとき訪れた転機

そんな彼に転機が訪れたのは17歳の時。美術学校の恩師シャルル・レプラトニエのすすめで、それまで専門としていた彫金ではなく、建築デザインに着手することとなります。

タイムリーなことに、18歳になる直前に偶然通っていた学校に美術装飾高等科が新設されたため、そのまま高等科へと進学しました。恩師のツテですぐに任された住宅「ファレ邸」(1907)の設計の仕事が、彼のデビュー作となりました。(※正確には、建築家ルネ・シャパラとの共同設計)

修業の旅で目を養う

専門の建築教育を受けていないのに仕事を任されることになるとは、本人も思ってもいなかったことでしょう。建築家になりたかったのかどうか分かりませんが、なんとなく建築家になってしまったル・コルビュジェです。

初仕事のフォレ邸はスイスの山荘風で、住んでいる周りの家と変わらない設計でした。この仕事で得た収入で、彼はイタリア旅行に出掛けます。

以来4年間、彼は正規の教育を受けずにヨーロッパ中を旅しながら中世建築を間近に見て、また各地の建築家の事務所を転々としながら、机上ではない「生」の建築を学びとっていきました。4年後に恩師から美術学校を手伝うようにいわれると、地元の美術学校で教師を勤めたり、各地の建築関連の会社で働いたりしながら、建築の腕を磨いていきました。

また、彼は画家として名を成したことでも有名で、「ピュリスム」と呼ばれる新様式を提唱したことでも知られています。専門的な教育を受けていないにもかかわらず画家と建築家の2足のわらじを履き、どちらでも世界的に有名になるなんて、彼がどれほど優れたアーティストだったかがわかります。

世界的建築家へ

そして1922年に自身の設計事務所を構えると、その斬新な設計思想やデザインが瞬く間に世界中の注目をあつめ、ル・コルビュジェは世界的建築家の仲間入りを果たすこととなりました。彼の作品や一挙手一投足は常に注目を浴び、建築界のオピニオンリーダーのようにもなっていきました。

その後は建物の設計のみならず都市計画など幅広い建築活動に従事したのち、78歳でその生涯を閉じました。

ル・コルビュジェの代表作

まだ鉄筋コンクリートが一般的ではなかった時代に、新しい素材を用いて革命的な作品を手掛けてきた彼の代表作をご紹介します。

「レマン湖の小さな家」1923年

スイスのレマン湖のほとりに、年老いた両親が住むための小さな家が建てられました。湖を臨む南側に11メートルの窓を付けました。レマン湖と向こうに連なるアルプスの山々を見ることができ、まるで絵画のような素晴らしさです。「住宅は住むための機械」という彼の有名な言葉ですが、この「小さな家」でも必要最小限の床面積で快適な暮らしができるように考え抜かれています。

「国立西洋美術館」1959年

フランス政府から「松方コレクション」を日本へ寄贈返還され保存と公開のために上野公園内に設立されました。2016年には世界遺産に登録されました。常設されている有名な作品には、ロダンの「考える人」、モネの「睡蓮」などがあります。ル・コルビュジェの日本で唯一の作品です。

「ロンシャンの礼拝堂」1950年~1955年

2016年に世界遺産として登録されました。終の棲家となった家は、スイスとドイツの国境付近にあるフランスの東にあるロンシャン村。小高い丘を見上げるとノートルダム・デュ・オー礼拝堂が見えます。カトリック・ドミニコ会の礼拝堂です。

特徴的な外観はカニの甲羅がモティーフになっているといわれています。ランダムに出来る凸凹が美しいスタッコ仕上げの分厚い白い壁。窓には文字や絵が描かれた赤、緑、黄色、青の硝子がはめ込まれています。内部では窓から差し込む光が神秘的でとても美しいです。

「カプ・マルタンの休暇小屋」1951年~1952年

2016年に世界遺産として登録されました。地中海を見下ろす崖に建てられた小さな丸太小屋で終の棲家となりました。愛妻家のル・コルビュジェが妻のイヴォンヌのために建てた小屋で、毎年夏になると地中海を一望できるこの小屋を訪れました。泳ぐのが好きな彼は休暇小屋の近くにアトリエをつくり水着姿で作業していたようです。

集合住宅の傑作

フランスのマルセイユにあるユニテ・ダビタシオンは、ル・コルビュジェの最も有名な作品の一つです。

「ユニテ・ダンシオン」1945年~1952年

ユニテ・ダビタシオンとは、「住居単位、住居の統一体」という意味のフランス語です。マルセイユの集合住宅は17階建て独り暮らしから大家族まで23ものタイプがあり、337戸の住居にレストラン、食料品店、郵便局、ホテル、保育園まで併設され、屋上にはプールや体育館などの施設が組み込まれ、まるで一つの都市のようです。

愛した海を眺めながら自身がデザインした墓に眠る

休暇小屋の前の海岸で海水浴中に78歳で急死したル・コルビュジェ。死因な心臓麻痺とも自殺ともいわれています。愛妻イヴォンヌの故郷であるカプ・マルタンの海岸を見下ろす見晴らしの良い丘にある、彼自身がデザインした墓に、イヴォンヌと共に眠っています。

ル・コルビュジェは現代建築を語るうえで欠かせない人物の一人であり、世界的に大変な影響力を持った人物でした。ぜひ彼の作品を実際に見て、その魅力を感じ取ってみてください。

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