三島由紀夫の傑作戯曲『サド侯爵夫人』。世界各国で上演される理由とは

2019.09.30

三島由紀夫は小説だけでなく、戯曲(演劇の脚本)作家としても、世界的に有名です。1965年に初演された「サド侯爵夫人」は、アメリカだけでなく、ヨーロッパ、アラビア語圏など世界中で演じられ、ミシマ戯曲人気ナンバー1ともいわれています。

女性によるサド・マゾヒズム論

サド侯爵(マルキ・ド・サド)とは、フランス革命期の小説家で、実在の人物です。サド侯爵はその当時としては過激な思想・作品から、貴人の身でありながら投獄・入院を経験するなど不遇の人生を歩んだ人物でした。後年、彼の作品は再評価されましたが、三島はあえて彼を主人公にせず、サド侯爵夫人を主人公にした戯曲を完成させました。

実在のサド侯爵をめぐる物語

サド侯爵は、加虐性欲(相手を痛めつけて性欲を感じる)=サディズムの語源になった人物で、彼の作品内では暴力的なポルノグラフィーや背徳的なエロティシズム、徹底した無神論などを描いています。

本人も虐待と放蕩の罪で投獄、のちには精神病院にも入院させられました。そんな彼を20年ほど待ち続けるルネ夫人が、主役の戯曲となっています。

登場人物は女性ばかり

貞淑な妻として描かれるルネのほかに、ルネの母・モントルイユ夫人、ルネの妹・アンヌが主だった登場人物で、ほかに、友人のシミアーヌ男爵夫人、サンフォン伯爵夫人、そして家政婦のシャルロットが登場します。彼女たちの会話で、サド侯爵の人となりがわかるような構成です。

影の主役はサド侯爵

サド侯爵は、舞台に登場しません。それでも、彼と関わりあった女性たちが、彼と対峙した時の思い出や、今の想いなどを舞台上で述べる会話劇となっています。

何が真実かわからない

ひとりひとりが、勝手に思いを語るパートもあり、見ている観客は何が真実かわかりません。つまり、真実はわからず、サド侯爵の実像もはっきりつかめないのです。

それは、登場人物たちに、「社会的道徳」「放蕩・肉欲」「世論」「神の教え」「無節操」などの代弁すべき性格付けがなされていて、それにそったセリフを述べるため。彼女たちの主観と思い込みによってサド侯爵への想いや評価を語るのです。そのため、夫の帰りをじっとまつ「貞淑」な妻ルネも、周囲の女性の声によって心が乱れます。

ルネの心の揺れが伝わる全幕

ルネ夫人は、暴力性や残酷さを表す反面、無垢で優しさを持つ夫・サド侯爵に、尽くす人生を歩んできました。当時の妻としては、ごく真っ当な人生です。

それは彼女自身のプライドでもありましたが、周囲の言葉が彼女の想いを揺らがせます。そんなときフランス革命が勃発し、大きく物語は動きます。

率直で猥雑、なのに優美?

三島由紀夫は、それまでにも戯曲を多数執筆し、小説同様、上流社会の姿とその矛盾、優美な言葉遣いやふるまいに反する行為などを描いていました。サド侯爵夫人でも、その魅力は発揮されています。

ヨーロッパらしい率直なセリフ

それまで、日本の歌舞伎や能を中心に戯曲を描いた三島は、セリフとセリフの合間、ニュアンスなどを大事にしていました。

ところがサド侯爵夫人に関しては、欧米人らしい率直な言葉を用いて、下品で卑猥で残酷で不道徳なものを、率直に口から発してなおかつ優美さを失わない演出を心掛けたという話が残っています。

思いがけないラストシーン

この戯曲を書くきっかけは、実在のサド侯爵夫人が、サド侯爵の釈放に合わせてとった態度が、とても不可解に感じたからだ、と三島は著作に記しています。

それを論理的に解明したい反面、人間の不可解さを表現したかったのでしょう。ラストシーンは、観客にとってもある意味納得のできないものかもしれません。

世界各国でいまも上演され続ける問題作

この戯曲が発表された当時は、そのスキャンダラスな内容(サドマゾヒズムや倒錯した暴力性など)に驚く反応もありました。ところが、上質な会話劇として認められ、人間の不可解さを露呈する物語を見事に戯曲化したと評価されています。いつの時代にも通じる人の欲望、悪の結晶といわれるものを、考えさせる戯曲といえるでしょう。

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