歌舞伎の屋号や格を詳しくご紹介。歴史も知ってさらに楽しもう

2018.10.31

歌舞伎は日本で古くから愛されている伝統芸能です。最近は俳優活動やバラエティ番組に出演する歌舞伎役者も多く、メディアにもよく取り上げられています。歌舞伎は初心者でも、歌舞伎役者の舞台を見に行ってみたい、そんな人に向けて情報をまとめました。

歌舞伎界の世界を知ろう

歌舞伎は日本を代表する文化の1つで、世界的にも知名度があります。数百年の歴史の中で研鑽された歌舞伎の世界は、とても奥が深く、多くのファンの心を今なお捕らえて離しません。

そんな歌舞伎の世界について、歌舞伎を知らない人にもわかりやすく解説します。

歌舞伎ってどんなもの?

歌舞伎は、動詞の『傾(かぶ)く』が、その語源となっており、並外れた・常軌を逸したという意味を持っています。

演劇・音楽・舞踊の3つの要素を組み合わせ、様々な演目を増やし続け、その数は700以上にのぼるほど豊富です。歌舞伎は、その時代ごとの流行に合わせて演目をつくりあげます。

いわば当時の市民の趣味嗜好を反映していると言えるでしょう。

起源とその歴史

歌舞伎の歴史は、約400年に及びます。1603年(慶長8年)に、出雲の巫女である阿国(おくに)という女性が、男装をして踊ったことが始まりです。

安土桃山時代から江戸時代の初めごろにかけて、奇抜で流行最先端の服装や髪型をしたり、世間の常識に反して行動する人達を『かぶき者』と呼んでいました。阿国の男装は、彼らを真似た衣装であり、『かぶき踊り』と呼ばれました。

そこから、女性が行なう『女歌舞伎』、少年たちの『若衆歌舞伎』が誕生します。これが幕府に禁止されると、成人男性のみの『野郎歌舞伎』と、女性役を男性が演じる『女方』が誕生しました。

これが、歌舞伎の基礎となります。常識にとらわれず流行を取り入れながら、観客を喜ばせる。歌舞伎が一貫して受け継ぎ、守り続けてきた精神です。

歌舞伎役者には、屋号と呼ばれる別名がある

屋号とは、歌舞伎役者が持っている、いわば看板のようなものであり、現在100種類ほどあると言われています。屋号は歌舞伎役者がそれぞれ受け継ぐべき芸風と伝統を表しているものです。

各一門の屋号をご紹介

メディアでもよく聞かれる屋号を、いくつかご紹介いたします。

成田屋は、現在、11代目の市川海老蔵さんが当主です。屋号の中で最も古くからあり、屋号の始まりをつくったと言われています。代々『荒事の役』を勤める一門です。

松本幸四郎さん・市川染五郎さんがいるのが高麗屋(こうらいや)です。松本幸四郎さんは、松たか子さんの父親でもあります。

音羽(おとわ)屋は7代目である尾上菊五郎さんが当主の一門です。息子である尾上菊之助さんや、尾上松緑さん、若手の尾上松也さんがいます。

萬(よろず)屋は、俳優としても有名な中村獅童さんの一門です。萬屋は、中村吉右衛門さんが中心の播磨屋から独立してできた、比較的新しい屋号と言えるでしょう。

他、中村屋、松嶋屋、成駒屋、大和(やまと)屋、澤瀉(おもだか)屋などの多くの屋号があります。

かけ声をかけるタイミングは?

歌舞伎俳優が舞台や花道に登場したシーンや、演目の盛り上がる場面で「〇〇屋!」と観客が掛け声を出すことがあります。歌舞伎役者と観客を結び付ける要素の1つです。

実は,歌舞伎のかけ声は『大向こう』と呼ばれる人達がきまったタイミングで声をかけています。しかし、だからといって観客が声をかけてはダメというわけではありません。

肝心のタイミングについては、演目ごとにタイミングがほぼ決まっていますので、同じお芝居を観て勉強することをおすすめします。

歌舞伎界における格式とは

歴史の長い歌舞伎界で、様々な一門がいます。屋号同士の格付けなどはあるのでしょうか。

歌舞伎の世界には格付けはある?

昔は、より歴史の長い屋号のほうが格が高いとされていました。他にも師弟関係や血筋などにより、力関係が出来ていたようです。

現代は、役者の実力や年功序列、人気の高さによって評価されるようになり、昔のような格付けは薄くなっているのが現状と言えるでしょう。

しかし、最も歴史の長い市川團十郎の名を受け継ぐ『成田屋』は、歌舞伎界の中心であり、別格扱いになっています。歴史のほかにも、一門同士の関係や由来など、屋号の格付けは奥深いものです。

各一門の歴史とその格付け

成田屋は、歌舞伎の屋号の始まりです。跡継ぎに恵まれなかった初代團十郎が、成田山に祈願し子宝に恵まれ、『成田不動明王山』を感謝のしるしとして演じ、当時の江戸で大ヒットしたのが起こりとなっています。最も歴史が長く、別格の格式です。

音羽屋も、江戸時代から代々続く名門であり、成田屋と同格の扱いを受けています。初代尾上菊五郎が立ち上げました。

初代尾上菊五郎の父が、自身が清水寺近くで生まれたことから、『音羽の滝』の名を借りて『音羽屋半平』と名乗っていたことが由来です。

中村屋は、もともと江戸時代に猿若勘三郎が開いた『歌舞伎芝居小屋』の中で、最も古い『中村座』が由来となっています。もともとは歌舞伎の芸名である名跡が受け継がれていましたが、17代目勘三郎襲名の際に屋号として復活しました。

一門同士の関係性にも注目

一門同士の関係性がとても深い屋号もあります。

例えば、成田屋と高麗屋は弟子筋の関係であり、成田屋が跡取りに恵まれなかった時には、高麗屋から養子を迎え入れたりしていました。市川海老蔵さんの祖父は、成田屋に養子として入った、高麗屋の7代目幸四郎の息子です。

そのため、成田屋と高麗屋は、いとこやはとこの関係性にある歌舞伎役者がいます。

澤瀉屋は、元々成田屋と同じ市川一門でした。澤瀉屋の初代市川猿之助は、9代目市川團十郎に弟子入りして市川を名乗りましたが、破門となってしまいました。その後、芸を磨き上げて破門を解かれ、番頭格となるほどの腕前となります。

そのため、澤瀉屋と成田屋は同じ市川の名となっているのです。

他にも中村屋は、歌舞伎役者としてよりもむしろ「劇場経営者」としての歴史が古いため、他の一門とのつながりも独特なものになっています。特に成田屋との深い関係については、こちらの記事にくわしく解説されています。

歌舞伎の中村屋と成田屋とは?それぞれの成り立ちと関係性をご紹介

伝統と新しい風を感じられる歌舞伎の奥深さを感じよう

歌舞伎の魅力は、伝統芸能であることと同時に、時代を反映させて常に新しい芸術として進化し続けていることです。

四代目市川猿之助さんが、歌舞伎と国民的マンガ『ONE PIECE』と融合させ、『スーパー歌舞伎セカンド ワンピース』として舞台にした時には、日本中が驚きました。

その時代に生きる人たちが、どんな舞台を見ると喜ぶか。それを追求している歌舞伎は、伝統芸能という歴史あるイメージと、現代の流行の最先端をとらえる、エンターテインメントとしての2つの顔を持ち合わせているのです。

その他のテーマ

ART

CULTURE

CRAFT

FOOD

TIME