新印象派の創設者「スーラ」。代表作や印象派との違いをご紹介

2019.09.18

新印象派の創設者と言われているのが、フランス人画家のスーラです。分割主義や点描主義という革新的な絵画方法を使い、「グランド・ジャット島の日曜日の午後」などの名画を残しました。この記事では、そんなスーラの主な作品や作風についてご紹介していきます。

画家スーラとは

ジョルジュ・スーラ(1859年- 1891年)は、新印象派の創設者とされる19世紀のフランス人画家です。

1878年(19歳)に、エコール・デ・ボザール国立美術学校に入学しますが、兵役のため1年ほどで休学することになります。

その後、1883年のサロンで素描が1点入選。この年から、最初の大作「アニエールの水浴」を描き始めています。

同作はサロンには落選したものの、アンデパンダン展(独立芸術家協会展)に出品され、一定の評価を得ています。

代表作の制作と新印象派の定着

「アニエールの水浴」が評価され始めたころ、スーラは自身の代表作ともいえる「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の制作を開始しています。

1886年の第8回印象派展に出品されたこの作品は、従来の印象派とは異なる分割主義や点描主義という革新的な技法が用いられていたことで、大きな反響を呼びました。

まさにこの作品が「新印象派」の始まりとなった訳です。

なお、「新印象派」という名称は、この「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を見た批評家がその品評記事のなかで初めて使っており、そこから世間に広まっていったものです。

短すぎたスーラの人生

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の成功を機に、スーラは「新印象派の創設者」としての道を歩むことになります。

その名声はすぐに高まりましたが、1891年3月29日、31歳という若さで亡くなっています。

死因に関しては、髄膜炎、肺炎、感染性狭心症、ジフテリアなどの説がありますが、詳しくは分かっていません。

スーラの作風

スーラの作風の特徴は、点描を用いていることにあります。

また、油彩で描いた下絵(クロクトンと名付けられた)を多数作り、これらをもとに入念に構想を練ったとされています。

これらの技術を用いたスーラの作品は、緻密な計算が施されている極めて数学的なもので、感性に基づいて描かれていた印象派とは考え方が大きく異なります。

この違いこそが、スーラが「新印象派の創設者」と呼ばれる所以となっています。

もっとも、この決定的な違いによって、当時の印象派画家であるモネ、ルノワール、カイユボット、シスレーらから評価されることはありませんでした。

スーラの代表作

スーラは油彩画60点、クロクトン(油彩下絵)約170点、素描約230点など数多くの作品を残しましたが、もっとも有名なのは、前述の「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(1884-1886)です。

代表作といえるこの作品は、パリ近郊にあるセーヌ川の中州で夏の一日を過ごす人々を描いたもので、スーラらしく点描法が用いられています。

スーラのこの作品にかける情熱はすさまじく、完成までに2年をかけ、その大半をスケッチに費やすほどでした。

最新の理論や知識を使って描かれていた

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の驚くべき点は、当時出版されたばかりの光学理論や色彩理論を取り入れ、原色と補色関係性、色の比率、色相などに配慮して描かれている点です。

さらに、当時としては非常に珍しい顔料(クロム酸亜鉛、亜鉛黄、ジンクイエロー)も使用されています。

点描画であることばかりに目が行きがちですが、当時最新であった理論や知識、顔料が使われているという点も見逃せない部分なのです。

新印象派の創設者スーラ

感性に基づいて描かれる印象派の作品とは異なり、スーラの作品は極めて理論的、数学的に描かれています。

また、点描法を用いている点も、従来の印象派とは異なっており、これらの理由から新印象派と呼ばれるようになりました。

31歳という若さで亡くなっているため、残っている作品は少ないのですが、一見の価値がある作品ばかりなので、機会があればじっくりと鑑賞すると良いでしょう。

その他のテーマ

ART

CULTURE

CRAFT

FOOD

TIME