小さな巨人ロートレック。人々の動きを追い続けた画家の作品と生涯

2019.09.13

1800年代に生まれ活躍した小さな背が特徴の画家・ロートレック。彼はフランスに生まれ、そしてゴッホをはじめとする画家たちとともに時を刻んできました。この記事ではロートレックの生い立ちや作品、作品鑑賞ができる場所を紹介します。

ロートレックはどんな画家だったのか

ロートレックは身体的な特徴があったためやや目立つ見た目をしていました。ここではロートレックの生い立ちや画家人生について簡単にまとめていきます。

背が小さな男性だった

ロートレックは14歳の時の足の骨折以降、身長が伸びなくなり小さいまま成人男性となりました。現在の医療的見解で言うと、実はそれは遺伝的なもので一種の奇形だったのではないかとも言われていますが定かではありません。

彼は裕福な家で生まれ育ちましたが、このことによって孤独感を味わいながら生活をすることとなってしまったのです。

ゴッホと同時期に活動していた

1882年にパリに進出すると、ロートレックは画塾に通い始めました。同じ画塾にはゴッホやベルナールもいたため、その時代にロートレックと彼らは顔を合わせています。

夜の街や踊り子たち、娼婦などを描くことが多かったロートレックは、ポスターを描いて広告業のようなこともしていました。

しかしながらアブサンの飲みすぎによるアルコール中毒、さらには梅毒に侵されてしまいます。最後は両親に看取られながら脳出血で命を落としました。なんとも不遇で虚しさが湧いてくる最後です。

ロートレックの代表作を紹介

ロートレックは印象派の画家として活動をしていました。写実的すぎず、独自の視点や完成から色を載せていく絵画はとても目を引きます。

「ムーラン・ルージュにて、踊り」

ロートレックはムーラン・ルージュに関する作品を何枚も描き上げています。ムーラン・ルージュとは踊り場のこと。夜の街に繰り出すことが多かったロートレックにとって、ムーラン・ルージュは親しみある場所だったのでしょう。

この「ムーラン・ルージュにて、踊り」には中央に躍動感あふれる踊りをする女性が描かれています。気取った装いのパリではなく、夜の顔のパリを描いたのはロートレックの他にあまり類を見ないかもしれません。

「フィンセント・ファン・ゴッホの肖像」

ロートレックはゴッホとも親交がありました。当時ロートレックは23歳で、ゴッホは34歳。年の差はあれども、理解しあえる仲だったのでしょう。

ロートレックが描くゴッホはそっぽを向いており、それが逆に普段の彼らの自然な距離感を表しているかのようです。

ロートレックはポスターも多く描いている

ロートレックは絵画だけでなくポスターを描いたことでも有名です。

「ムーラン・ルージュのラ・グーリュ」

こちらも絵画と同じくムーラン・ルージュについて描いたポスターです。「ムーラン・ルージュにて、踊り」の様子をポスター用にデフォルメしたような様相になっています。

中心の踊り好みが目立つよう、その他の人物についてはシルエットや簡略化された輪郭に留まっているのが特徴的です。

「シンプソン・チェーン」

ロートレックはツール・ド・フランスのような自転車スポーツにとても熱心に入れ込んでいました。そこで自転車関係のポスターも描くようになったのです。

この「シンプソン・チェーン」はロンドンのW. S. シンプソン社が最終デザインとして採用したポスター。

描き直しを加えて採用されたこのポスターは、自転車スポーツの躍動感と力強さが伝わり、息遣いまでが聞こえてきそうな仕上がりです。

「ディヴァン・ジャポネ」

こちらはその名の通り「ディヴァン・ジャポネ」と呼ばれるショーが観れる飲食店のために描いたポスター。

貴婦人の姿がモノクローム的に目を引く作品となっており、もしかしたら美術の知識があまりない方でも見かけたことがあるかもしれない1枚です。

ロートレック展の日本での開催予定

ロートレックの版画とポスター展は2017年に日本で開催されていました。現在はどこの美術館でも開催予定として公表されている情報はありません。

2008年にも別の美術館で展示絵画行われているので、長くても10年おきくらいにはロートレックの作品展を観られる可能性はありそうです。

ロートレックは表現力豊かな画家だった

デフォルメからリアリティある日常的な様子まで、様々なパリの姿をロートレックは描いてきました。

まさに「小さな巨人」と呼ぶにふさわしい偉大な画家・ロートレックの作品は、今でも色あせることのない前衛的で強い印象を民衆に与え続けています。

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