ラファエル前派の画家「ミレイ」。傑作オフィーリアなど代表作をご紹介

2019.09.10

名画「オフィーリア」を描いた画家として知られるミレイ。生前は批判されることが多かったのですが、現在ではラファエル前派を語る上で欠かせない画家として高く評価されています。この記事では、そんなミレイとその主な作品に関してご紹介していきます。

画家ミレイとは

サー・ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829年 - 1896年)は、19世紀に活躍したラファエル前派のイギリス人画家です。

幼少時から高い才能を示していたミレイは、11歳の時にロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校に史上最年少で入学し、1846年(16歳)のときすでにロイヤル・アカデミーの展覧会で入賞するなど、神童として華々しいキャリアをスタートさせます。

画期的な画法、ラファエル前派の結成

このように早くから評価されていたミレイですが、当時の画壇に対しては強く反発しており、1848年に「ラファエル前派」を結成することになります。これは平たく言えば「ラファエロ以前の画法に学ぶ一派」という意味で、初期ルネサンスなどに見られる人間の解放や、ありのままの自然の姿などを忠実に再現するという信条のもと、従来の慣習にとらわれないモチーフや構図を多く取り入れました。

これ以降、ミレイはラファエル前派の中心人物として名声を高めていきますが、当時としては革新的なラファエル前派の画法は、度々批判にさらされることとなります。

とくに1857年発表の「浅瀬を渡るイザンブラス卿」では、新聞各社や評論家など他方面からの手厳しい批判を受けました。画家としての理想と、生活の糧としての画業との板挟みにあったミレイは、やむなく当初の信条から方向転換を図ることとなります。

ラファエル前派からの脱却

「浅瀬を渡るイザンブラス卿」で酷く批判されたミレイは、1860年頃からより大衆受けする絵を描くようになります。その転換点となったのが、「黒きブランズウィック騎兵隊員」(1859年 – 1861年)です。

美しいタッチでロマンチックに描かれたこの絵は世間から高く評価され、以降、ミレイの作品はどんどん大衆受けを狙ったものへと変わっていきました。

とくに、晩年のミレイが描いた作品は、どれも人物が非常に美しく、わかりやすく感動的な画風である反面、キャリア初期に描いたものとはかなり異なっていることがわかります。

大衆受けといえば聞こえは悪いですが、肖像画や美しい風俗画などを題材に数々の名作を描き続けたミレイは、1896年には、ロイヤル・アカデミーの会長に選出されるまでに登り詰めるなど、19世紀にもっとも成功した画家の一人といえます。

ミレイの代表作、オフィーリア

ミレイの代表作といえは、やはり「オフィーリア」(テート・ブリテン美術館所蔵)でしょう。

1851年から1852年にかけて制作されたオフィーリアは、シェイクスピアの「ハムレット」のヒロイン、オフィーリアを題材にしたもので、彼女がデンマークの川で溺れてしまう直前の様子を描いています。

ラファエル前派が信条とする「自然のありのままの描写」がそのまま表れたような、明るく正確に描写された自然の風景、そしてその中に浮かび上がる狂気のオフィーリアの姿が儚げな美しさを呈するこの作品は、現在では「ヴィクトリア朝時代の最高傑作」とも称されています。

オフィーリア|テートブリテン

当初はオフィーリアの評価は低かった

もっとも、1852年にロンドンのロイヤル・アカデミーで初めて展示されたときはある程度の賞賛をえたものの、いまほど広く絶賛を受けたわけではなかったようです。

20世紀に入り、シュルレアリスムの旗手として名を馳せた画家・サルバドール・ダリによって支持されたことを皮切りに、一挙にその名声は高まったといわれています。

無論、日本国内においてもそれほど知名度のある絵画ではなかったのですが、1906年に小説家の夏目漱石がその小説のなかで称賛しており、これをきっかけに人気の高い絵画となったといわれています。

早熟の天才画家ミレイ

若くして注目されたミレイはラファエル前派を結成し、それ以降、同派の第一人者として活躍しました。

革新的な画風であったことから多くの批判を浴びましたが、徐々に大衆受けする絵を描くようになり、晩年にはロイヤル・アカデミーの会長に選出されています。

また、20世紀になってからは、ダリら有名な画家に支持されるようになり、さらに評価を高めました。イギリス・ロンドンにある美術館、テート・ブリテンや、マージーサイド州にあるレディ・リーヴァー美術館などに収蔵されているので、イギリスを訪れた際はぜひ足を運んでみると良いでしょう。

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