「考える人」は考えているわけじゃない?近代彫刻の父ロダンの代表作を解説

2019.09.03

オーギュスト・ロダン(1840年~1917年)は、フランスの彫刻家です。「近代彫刻の父」といわれている世界的な彫刻家ロダンの「考える人」は誰でも知っていると思いますが、他にどんな作品があるのか知っていますか?彼の生涯や代表作をご紹介します。

ロダンについて

彫刻家で有名なロダンですが、彼はどんな人物だったのかご紹介します。

生い立ち~姉の死

ロダンは、パリで警察に務める父親と、家政婦などをしながら生活を支える母親との間に生まれました。厳格な両親のもと育ったロダンでしたが、生活は裕福とはいいがたく、芸術家への道も華々しいものとは言えませんでした。

幼いころから絵は上手かったのですが、小学生時代は学問的には劣等生だったようです。それでも3歳年上の姉マリアに励まされながら芸術家への道を志し、マリアが父親を説得してくれたこともあって、14歳のロダンは工芸学校に通い美術の勉強を受けることになります。

しかし、その後は美術学校への入試に繰り返し失敗し、唯一の理解者であり経済的な支援者でもあったマリアが病死してしまうなど、度重なる挫折を味わいます。そんな苦境にあってロダンは、一度は彫刻家への道をあきらめようとしたこともあったといいます。

彫刻職人として

それでも彫刻家となることをあきらめなかったロダンは、その後は学校に進むことはあきらめ、長い職人時代を過ごしながら、ほとんど独学で彫刻を学ぶことになります。

有名な彫刻家であるアルベール・エルネスト・カリエ・ベルーズなど数々のアトリエで職人として働きながら、ロダンは、やがて「人間の表現」に重点を置いた作品制作をしようと決意します。

24歳のころには、処女作「鼻のつぶれた男」をサロンへと提出しています。無精ひげに覆われ、鼻がひしゃげた老人。人生の酸いも甘いもかみ分けてきたであろう老人の顔に高貴なものを感じていたロダンですが、サロンには理解されず落選します。

その後もフランスのアカデミックな芸術の世界ではロダンは評価されず、彼が芸術家として身を立てることができたのは、ロダンがようやく40歳になるころでした。のちに「近代彫刻の父」とまで呼ばれる人物は、いち彫刻職人として実に20年以上の下積み期間を過ごしたのです。

半生を過ぎ、ようやく脚光を浴びる

そんなロダンにとって転機となったのが、1877年に制作された「青銅時代」という作品です。これはロダンがイタリア旅行中に触れたミケランジェロやドナテルロのいわゆる「イタリア=ルネサンス」の彫刻作品に感銘を受けて制作した作品ですが、そのあまりにリアルで精密な人間の造形は一躍話題を集め、彼の名はパリじゅうに広まることになります。

その後は、「地獄の門」「考える人」「カレーの市民」など現在でも知られるような数々の名作を残し、現在では近代を代表する彫刻家の一人として位置づけられるほどの功績を残しました。

ロダンの代表作

ロダンの作品の特徴は、表面的な美しさにとらわれない、素朴でリアルな人間像を克明かつリアルに描く点にあります。おりしもアール・ヌーヴォーが芸術界を席巻し、「装飾の時代」といわれた19世紀末、そうした潮流にとらわれないロダンの作品は、驚きをもって迎え入れられたのです。そんな彼の代表作をご紹介します。

「地獄の門」1880年~1917年

押しも押されもせぬロダン最大の傑作です。

もともとは新築予定の国立美術館に置くモニュメントとして制作依頼を受けたものでしたが、制作に着手したのちに依頼が中止されました。しかしロダンは、中止の連絡を受けた後もこの作品を自邸のアトリエで作り続け、ついには未完のままこの世を去ってしまったといいます。それほどまでにロダンにとって重要な作品です。

彼は大仕事に、ダンテの「神曲」の地獄篇をテーマに選びました。地獄に通じる門と、地獄の住民、そして地獄を見つめ考える人。様々な人間の姿が克明に描き出されています。現在では、オリジナルが東京 国立西洋美術館など展示されています。

「考える人」1880年

「考える人」は、ロダンの中でもっともよく知られた作品かもしれません。これはもともと「地獄の門」の中の登場人物であり、門の上から地獄を見つめている人物のモチーフを切り出して、単体としてロダンが彫刻したものになります。

原題は「詩人」であり、「考える人」というのは後から別人によって付けられたタイトルになります。この人物は、地獄の様子を見つめながら「神曲」の構想を練っている作者・ダンテであろうと考えられていますが、原題からもわかる通り、あくまでこの人物が「考えている」のかどうかはわからず、地獄をただ見つめているだけなのかもしれません。

現在では国立西洋美術館やパリ ロダン美術館などでオリジナルを見ることができます。

「青銅時代」1875年~1876年

先述の通り、ロダンの出世作となった作品です。ベルギーの兵士オーギュスト・ネイという人物をモデルに等身大で制作されたこの立像は、あまりにも正確な写実主義的作品だったため、生きたモデルを使って型を取ったのではないかと非難が起き上がったほどでした。

現在では国立西洋美術館などにオリジナルが所蔵されています。

「歩く人」1900年

頭も腕もない奇妙な像ですが、大地を踏みしめる二本の脚、その左から右へと体重が移る歩みを捉えたダイナミックな動きの表現が素晴らしい作品です。

この作品のあともロダンは、人間の身体の一部だけを表わした作品を多く制作しています。それは欠損したミケランジェロの未完成の作品の美しさ、完成度をロダンは見抜いていたからだといわれています。人間の身体の一部による表現はピカソのキュビスムにも影響を与えました。オリジナルは岡山県倉敷市 大原美術館などに所蔵されています。

「バルザック」1897年

エミール・ゾラが会長を務めるフランス文芸家協会が、文豪バルザックの記念碑をロダンに依頼しました。パルザックを知るための取材を重ね、おびただしい習作を創り、予定の2年後には完成せず数年経ってようやく完成したバルザック像。ずんぐりと太った身体にガウンをまとって表情もよくわからない文豪の像には、当時批判が殺到しました。

フランス文芸家協会はこの像を認めずに、ロダンは作品を自邸に引き取り沈黙しました。文豪バルザックの作家としての不屈の精神を伝えることが、7年間探り続けたロダンの結論だったのです。現在ではオリジナルが箱根 彫刻の森美術館などに所蔵されています。

「カレーの市民」1888年

14世紀に起こった百年戦争の際、イギリス軍に包囲されたフランスの都市・カレーで、都市の人々を救うために自ら人質となった勇気ある6人の市民たちを描いた作品です。

勇気ある市民たちの、ぬぐい切れない死への恐怖と疲れ切った表情、それでいて毅然としたその出で立ちは、見るものに不思議な感慨を抱かせてくれます。現在ではフランス カレー市庁舎前などにそのオリジナルが展示されています。

苦労の末に成功した「近代彫刻の父」

ロダンの生涯と代表作をご紹介してきました。アカデミックに彫刻を勉強する機会に恵まれず、職人として独学で彫刻を学び、半生を過ぎるまで芸術家としての評価を受けなかった苦労人のロダンでしたが、現在では「近代彫刻の父」と呼ばれるほどの評価を得ています。

ロダンの弟子は生涯で50人はいたといわれています。彼らの中には独立して有名になった彫刻家も多くおり、ロダンの存在はその後の近代彫刻界に多大な影響を与えました。

彼の緻密で克明な彫刻は、見れば見るほど新しい発見がある多くの示唆に満ち溢れています。日本でもオリジナルが展示されている美術館が非常に多いので、ぜひその目で本物を鑑賞してみてください。

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