妖艶な女性を描く天才・クリムト。黄金様式の最高傑作『接吻』を解説

2019.08.30

19世紀末のウィーンの画家・クリムトの「接吻」は、世紀末美術と呼ばれる幻想的で耽美的な絵画の中でも、名作のひとつとして数えられます。常に新しい表現を求めたクリムトの挑戦がうかがえる作品です。

クリムトの『接吻』の全図を見たい方は、以下オリジナルサイトからご確認ください。

The Kiss(接吻)|ヴェルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館

現代でも大人気!「接吻」の独自性とは

1907〜1908年にかけて描かれた「接吻」は、クリムト円熟期の傑作として知られています。現代でも様々なアーティストがオマージュを捧げる、名作中の名作。その唯一無比の表現方法をみてみましょう。

デザイン化された構図とエロス

オーストリア・ウィーンのベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館に所蔵されている「接吻」は、180×180㎝の大画面に、女性の頬に口づけする男性と、うっとりした表情の女性が、ぴったり寄り添う形で描かれています。

花の咲き乱れる崖の上で接吻をかわす男女。その恍惚とした女性の表情はリアルで、クリムトならではのなんともいえないエロスを感じます。

一体化した二人の姿と、その後ろにあるオーラのような金の光も含めると、まるでひとつの物質のように見える構図も特長です。また、彼らの着ている衣装の柄も、クリムトならではの斬新なデザインとなっています。

「黄金様式」と呼ばれる金の使い方

クリムトには、「黄金様式」と呼ばれるきらびやかな金を作品につかった時期があります。

もともとクリムトは、伝統保守的な流派から離れて、仲間たちと「分離派」というグループをつくったり、その後もさらに若手と「クンストシャウ」というグループ展を行ったり、常に新しいものを探していました。そんな彼が、出会ったのが金を用いた絵画表現だったのです。

「接吻」では、男女二人の衣装や彼らから放たられるオーラに、贅沢に金が使われ、背景には霧状に金が使われています。クリムトは、見事に、金の素材や技法を使い分け、自分の表現に効果的に生かしていました。

「黄金様式」のアイデアソースはふたつ

では、クリムトはこの金の使い方を、どこで学んだのでしょう?そのアイデアソースをたどります。

ビザンティン・モザイク画風をもとに

1903年、ビザンティン・モザイクで有名な北イタリアのラヴェンナを訪れたクリムトは、これ以降金を使い始めます。

ビザンティン画風とは、5〜6世紀のトルコを中心としてヨーロッパを席巻したビザンティン帝国の美術のこと。東方の文化と西洋のキリスト教文化が融合し、モザイクと呼ばれるタイルを使った表現や、金を多用した表現が目につきます。

日本の「琳派」の技法を参考に

もうひとつのアイデアソースは、日本の桃山後期の「琳派」と呼ばれる美術の流派です。

当時のヨーロッパで日本美術が流行していたのは周知の事実ですが、その中でもクリムトは、特に日本美術の「金」の使い方に影響をうけていました。『琳派』と呼ばれる一派の金箔を使った屏風や、金箔・金粉などをつかった「蒔絵」という漆工芸を参考に、自分なりに解釈し油彩画に応用したのです。

流行作家・クリムトの名作たち

クリムトは、もともと室内装飾の仕事をしていました。いわゆる注文を受けて制作をはじめる職人の世界です。そのため、数々の建物内の壁画や装飾を手がけ、現在もたくさんの壁画などが残されています。

ウィーンの街を彩るクリムトの壁画たち

クリムトの名声は、まずは、壁画などの室内装飾で広まります。ウィーンで、オペラ劇場であるブルク劇場や美術史美術館などを手がけ、美術史美術館の階段上の壁画は現在でも見ることができます。

ただ、その独自性の高い画風のため、ウィーン大学講堂の天井画では作品自体は高く評価されたものの、女性の裸体などがエロティックと判断され、事態は紛糾します。そして、ついに壁画に描かれることはありませんでした。

数々の女性肖像画を残す

数々の名声を得たクリムトの元には、富裕層から肖像画の依頼が舞いこみました。とくに女性を美しく官能的に描くことで定評があるクリムトは、「オイゲニア・プリマフェージの肖像」(豊田市美術館所蔵)など、数多くの女性画を残しています。

オイゲニア・プリマフェージの肖像|豊田市美術館

女性を描くと天下一品!クリムトの女性賛歌

クリムトには男性や自身を描いた作品はほとんどありません。クリムト自身、同時に複数の女性と暮らしていたこともあり、女性の生々しい姿を描いたデッサンが多数残っています。だからこそ、甘美でエロティック、妖艶で無垢な女性の姿を描くことができたのでしょう。

その他のテーマ

ART

CULTURE

CRAFT

FOOD

TIME