光の魔術師の異名を持つレンブラント。その主な作品と代表作とは?

2019.08.23

「光の画家」、「光の魔術師」等の異名を持ち、絵画「夜警」を描いたことでも知られるレンブラント。油彩画だけでなく、エッチングや複合技法による銅版画、デッサン等でも多くの作品を制作しました。この記事では、そんなレンブラントの技法や代表作「夜警」についてご紹介します。

レンブラントとは

レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(1606年7月15日 – 1669年10月4日)は、バロック期を代表するオランダの画家です。

1620年(14歳)、画家を志望して歴史画家ヤーコプ・ファン・スヴァーネンブルフに弟子入りしています。

また、1624年には、オランダ最高の歴史画家との呼び声が高かったピーテル・ラストマンという人物に弟子入りし、画力を高めていきました。

若くして名声を得たレンブラント

1625年に「聖ステバノの殉教(聖ステバノの石打)」を製作したレンブラントは、1628年頃になると弟子を持つようになります。

このことから、20代前半にして画家として評価されていたことがうかがえます。

そんなレンブラントの名声をさらに高めたのが、代表作の一つである「テュルプ博士の解剖学講義」(1632年)です。

これは、著名な医師の解剖学の講義を受ける名士たちを描いた作品で、発表当時から高い評価を得ました。

晩年はほぼ無一文

早くから才能を認められ、画家として大成していったレンブラント。

しかし、レンブラントには浪費癖があり、なおかつ不倫におぼれた時期もあったようで、プライベートの方は順調とはいえませんでした。

結局、晩年はほぼ無一文の状態となり、質素な暮らしを送るなか、1669年10月4日にひっそりと息を引き取っています。

明暗を巧みに操ったレンブラント

レンブラントは、「30枚の銀貨を返すユダ」(1629年)から「ユダヤの花嫁  イサクとリベカ(1667年)まで、約40年もの間、勢力的に絵を描き続けました。

そして、そのほとんどが「光と影の明暗を明確にする技法」を用いて描かれています。

これはレンブラントが得意とする技法であり、「光の魔術師」と呼ばれる所以になっています。

1632年作の「ヤコブ・デ・ヘイデン三世」ですでにはっきりとした明暗の差を確認できますから、かなり初期の段階でこの技法を確立させていたことが分かります。

レンブラントの代表作、夜警

1642年に完成した「夜警」は、火縄銃手組合による市民自警団が出動する瞬間を描いた作品です。

縦3.63m×横4.37mという巨大なキャンバスに、明暗法を用いて自警団の人々が描かれいます。

その巨大さから、まさにレンブラントの代表作と呼ぶにふさわしい、非常に迫力のある絵となっています。

夜警は度々気づ付けられた

その「夜警」ですが、過去に数回ダメージを追っています。

まず1715年に、展示場所を移す際に上下左右が切り詰められてしまいました。二回目は1911年1月13日、元コックによってナイフで傷つけられました。

幸い、この二回では大きなダメージは残りませんでした。しかし、1975年9月14日、精神的に不安定だった元教師がナイフで傷をつけてしまいます。

この時の傷は、その大半は修復されましたが、完全には治らず、傷跡が残ることとなります。(現在でも、よくみるとうっすらと跡がのこっています)さらに1990年4月には、精神を病んだ客が酸を吹きかけています。

現在ではアムステルダム国立美術館にて厳重に収蔵されている「夜警」ですが、過去にこのような事件が起きたことは、残念でなりません。

「光の魔術師」レンブラント

明暗の差をはっきりとだし、絵の主体を目立たせることに長けていたレンブラント。その技法から「光の魔術師」と呼ばれ、「夜警」などの名作を残しました。

バロック期を代表する画家ですから、同時期の作品に興味がある人は、アムステルダム国立美術館などでじっくりと鑑賞してみてはいかがでしょうか。

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