生前は酷評?「印象派の父」と称されるマネの代表作と見どころを解説

2019.08.19

19世紀に活躍したフランスの画家エドゥアール・マネ(1832年~1883年)は、裕福な家庭に生まれ育ちながらも、伝統やしきたりに囚われず、絵画界に革新をもたらした人物です。生前は世間からのバッシングを受け酷評されることも多かったマネ。この記事では、なぜマネが絵画界に革新をもたらすに至ったのか、その人生と代表作品からご紹介していきます。

エドゥアール・マネについて

まずはマネの人生の歩みについてご紹介します。

少年時代~修業時代

パリの裕福なブルジョワ家庭に生まれたマネは、幼少期から叔父の影響を受け絵画に興味を持ち、ルーヴル美術館へ足繁く通い名画の模写を描くことで技術を積み重ねていきました。父親はマネが画家になることに反対をしていましたが、海軍兵学校を2回落第すると芸術家に道に進むことを許します。晴れて願いが叶ったマネは、パリのみならず、オランダ、ドイツ、イタリアなどの諸外国の美術館を訪れ、幅広い芸術的教養を身につけ、その知識を作品に反映していきます。

当時の暗黙のルールを覆す絵画作品を発表

本格的に芸術家の道を進むため、マネはフランスの公式美術展覧会である「サロン・ド・パリ」への応募を続け、3年後に初入選を果たします。その後、再度出品した作品「草上の昼食」でマネは世間から大きく非難を受けることになります。

当時、神話の世界を絵画にする際にヴィーナスの裸婦を描くことは珍しいことではありませんでしたが、リアルな女性の裸体を描くことは風紀を乱すという理由でタブー視されていました。そんな時代背景の中マネが出品した「草上の昼食」は、森の中の池のほとりで、薄い布をまとって水浴びをしている女性のそばで、服をきた男性2人と完全に裸体の女性が談笑をしている姿でした。

酷評されたマネでしたが、めげることなく2年後には「オランピア」という作品を出品します。オランピアとは当時の娼婦の通称です。娼婦の傍らには黒人の女性が裸体の女性の召使として描かれていました。この作品は草上の昼食以上の批判を浴びることとなってしまいました。

常識に囚われない作品は若い画家に影響を与えた

パリにうんざりしたマネはパリを離れ、スペインへと旅に出ます。そこで17世紀を代表するスペイン画家の巨匠「ベラスケス」の作品に触れ、背景を消すことで描く対象物を浮かび上がらせる画法を学びます。その学びを反映させた作品が「笛を吹く少年」です。

サロンに出品した2作品は酷評と非難を受けましたが、一方で意図せず美術界に革命を起こすことになり、常識に囚われないマネの作品は、特に若い印象派画家に多大なる影響を及ぼしたと言われています。

マネの代表作

そんなマネの代表作品について、批判の的となった作品も含めてご紹介します

「チュルリー公園の音楽会」1862年

詩人ボードレールの主張を油絵の領域で忠実に描いた作品です。チュールリーの庭園に集まった人々は音楽に耳を傾けるでもなく、思い思いの姿勢でざわめいている様子が描かれています。ロンドン ナショナル・ギャラリーに所蔵されています。

「草上の昼食」1862~1863年

服を着た男性と裸の女性が一緒に恥じらうこともなくポーズをとり、こちらに視線を向けている構図。マネはブルジョワの度肝を抜くことで有名になろうとしている、歪められた趣味を持っていると激しく批判された作品です。パリ オルセー美術館に所蔵されています。

「オランピア」1863年

サロンに出品し入選しましたが、酷く批判された作品です。女性が全裸でベッドに横たわっているのは、ウルカーノのヴィーナスと同じ構図ですが、マネはパリの娼婦をモデルにしていることに批判されました。

ヴェルディの有名なオペラ「椿姫」では高級娼婦が主役になっています。当時のパリでは貧富の差が大きく娼婦になる女性がとても多く、社交界の花として高級娼婦を目指した女性も数多くいました。パリ オルセー美術館に所蔵されています。

「笛を吹く少年」1866年

「オランピア」の酷評でパリを離れたマネは、スペインでベラスケスの作品を観て驚嘆し、ベラスケスにすっかり魅了されたといわれています。灰色の明るい背景から赤いズボンと警帽姿の少年が浮かび上がって見えます。フランスの小説家であり自然主義文学の定義者であるエミール・ゾラはこの作品を高く評価しましたが、展覧会では落選していた事に驚かされます。パリ オルセー美術館に所蔵されています。

「エミール・ゾラの肖像」1868年

マネの友人で小説家のゾラはマネの数少ない弁護者でした。周囲がマネを理解しない中、ゾラは「エヴェンヌ」紙に長文のマネの記事を発表しました。マネが感謝の気持ちを込めて描いた肖像画です。浮世絵が背景に描かれ、マネが浮世絵に興味を持っていたことが分かります。パリ オルセー美術館に所蔵されています。

「ベルト・モリゾの肖像」1872年

モリゾは有名な女流画家です。背景がそっけない白い室内であることで圧倒的に黒が引き立っています。当時流行っていた風変わりなシルエットの帽子を被って微笑んでいます。パリ オルセー美術館に所蔵されています。

「鉄道」1873年

ナショナル・ギャラリーに所蔵。舞台はパリのサン=ラザール駅。鉄道の存在は白煙で表現しています。本を読んでいる女性は通行人に視線を向け、彼女の膝には小犬が寝ています。女の子は鉄柵の向こうのラザール駅を見ています。都会で出逢った偶然を描いたものです。

「フォーリー=ベルジェールの酒場」1882年

フランスに初めてできたミュージック・ホールにあるバーの雰囲気が醸し出されています。シャンパンのボトル、食べ物がいっぱいに載ったテーブルの後ろで美しい娘がモデルになっています。鏡に映ったブロンドの彼女に話しかけている男性。洗練された見事な描写はマネの最後の最高傑作となりました。ロンドン コートールド・ギャラリーに所蔵されています。

マネから影響を受けた画家たち

マネは、セザンヌ、ゴーギャン、ピカソをはじめ多くの巨匠たちに影響を与えました。

ポール・セザンヌ

「草上の昼食」「オランピア」に影響を受けたセザンヌは、セザンヌの「草上の昼食」「現代版のオランピア」を描きました。セザンヌは特徴的な静止画を描くことに成功します。

ポール・ゴーギャン

「オランピア」に影響を受けたゴーギャンは、忠実に模写を描いています。タヒチでの作品の裸婦像に「オランピア」のイメージを感じ取ることができます。

パブロ・ピカソ

「オランピア」に影響を受けたピカソは「オランピア」のパロディーを描きました。ピカソが描いたのは裸婦が黒人で召使が白人に、猫に犬も加わっています。

新しい時代を切り開いたマネ

「オランピア」を売却しようとしていることを聞いたクロード・モネは「オランピア」を購入して、リュクサンブール美術館に展示することに成功しました。生前は酷評が多くマネの作品はなかなか認められませんでしたが、信念を曲げずに描き続けたマネは多くの貴重な作品を遺し、現代では「印象派の父」とまで言われるようになっています。

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