今なお論争の的「チャールズ・ダーウィンの進化論」とは?

2019.08.12

現在、私たちが常識として知っている生物の進化の歴史は、意外にも新しく19世紀中頃、チャールズ・ダーウィンによって初めて提唱された学説でした。当時の常識を打ち破ったダーウィンの進化論とは具体的にどのようなものだったのでしょうか。その主著の内容と問題点、影響についてご紹介します。

地質学者だったダーウィン

高名な博物学者を祖父に持つチャールズ・ダーウィンは、子供の頃より植物や昆虫の採集に精を出し、大学を卒業すると、イギリス海軍の測量船ビーグル号に乗って南半球周遊の航海に出発しました。ダーウィンは、帰国後、まずこの航海での調査にもとづく地質学の成果によって世に出ます。しかし、この航海で観察した生物の多様性や類似性から、のちの進化論へとつながる思想を育んでいます。

ダーウィンの進化論とは

ダーウィンは、南洋での旅から糸口を掴んだ進化論を、主著『種の起源』で世に問いました。ここでは、『種の起源』出版の経緯と、ダーウィン進化論の二つのポイントである自然選択と枝分かれ進化についてご説明します。

進化論を記した主著『種の起源』

進化論に気がついたダーウィンは、もともと『自然選択』という大著を何年もかけて用意していました。しかし、同じイギリスの博物学者ウォレスが、同様の進化機構の着想に到達したのを知り、連名で学会発表を行いました。その後、『自然選択』の抄訳版として1859年に出版されたのが『種の起源』です。初版は予約分で完売という人気を博しましたが、天地創造説を信じていた当時の人々にとっては衝撃的な内容として受け止められました。

自然選択と適者生存

ダーウィンの進化論の軸である「自然選択」とは、適者生存と突然変異の組み合わせ手によって説明されます。まず、ダーウィンは、自然界では限られた資源をめぐってより良く環境に適応しようと同種の個体同士が競争し、適応できない個体は淘汰されていくと考えました。また、自然界の生物にはときに偶然に突然変異が起こり、なかでも生存と繁殖に有利な変異が起こったものほど生き延びる確率が高くより多く子孫を残すことができるとし、このことが進化の推進力であると考えたのです。

枝分かれ的進化

現在、私たちが学校で教えられている、あらゆる生物は原始生命から徐々に枝分かれして多様な種へと進化していったという説は、ダーウィンの1837年の研究ノートに歴史上初めて登場したとされています。ダーウィン以前にも生物進化論は存在していましたが、それは、共通の祖先からの枝分かれ的進化ではなく、別々の祖先からの直線的な進化でした。ダーウィンは、化石生物の変遷ではなく、生物の地理的分布から進化を考えたためにこの説にたどり着けたと言われています。

ダーウィン進化論の問題点と影響

とても周到に準備、発表されたダーウィンの進化論にも問題点がありました。また、のちにその説が誤解されて、社会に広く影響を及ぼすことにもなります。

分からなかった遺伝の謎

ダーウィン自身も生前頭を抱えた問題点が、環境に適応した変異がある種に蓄積されて伝わるという説を裏付けるための、遺伝のメカニズムが不明であるということでした。ダーウィンは、ジェミュールと名付けた物質が親の獲得した変異を生殖細胞に伝えて遺伝が起こるという説を唱え、ハトの交配や植物の育成などの実験によって証明をしようとしましたが、のちにメンデルが明らかにする一般的な遺伝の法則にはたどり着けませんでした。

誤解された進化論

生物学の学説として発表された進化論は、のちに社会や思想と結び付けられ、自然選択の原理が、自由放任主義で弱肉強食の資本主義、人種差別帝国主義など様々なイデオロギーに用いられるようになりました。しかし、ダーウィン自身は、進化と進歩は別物であるとし、生物の進化は優劣や下等高等といった特定の方向性や目的など無い、偶然の変異によるものだとしています。また、人種間の差異は微小すぎて生物的に異なる種とは言えないと論じ、奴隷制度や人種差別にも反対していました。

進化論を覆す近年の発見

現代の生物学の基盤をなすことになったダーウィンの進化論が、正式に認められたのは1930年代とされ、キリスト教を篤く信仰する人々にはいまも否定されています。また、最新の遺伝子研究では、進化は小さな遺伝的変異の蓄積によって起きるとしたダーウィンの説を覆す成果が発表されています。ダーウィンが唱えた「種の起源」は、いまも様々な論争の的になっているのです。

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