政治家でもあったヴィクトル・ユーゴー。その生涯と代表作を紹介

2019.08.07

ロマン派を世界文学の主流に押し上げ、「レ・ミゼラブル」の著者として知られるヴィクトル・ユーゴー。作家として現在でも多くのファンを持ちますが、政治活動にも力をいれており、人道主義を訴えていました。この記事ではそんなヴィクトル・ユーゴーについてご紹介します。

ヴィクトル・ユーゴーとは

ヴィクトル=マリー・ユーゴー(1802年2月26日 – 1885年5月22日)はフランス・ロマン主義の小説家です。また、七月王政時代からフランス第二共和政時代にかけて、人道主義を唱える政治家としても活動していました。

彼の代表作ほどには世に知られていない、彼の人生を紐解いていきましょう。

ヴィクトル・ユーゴーの台頭

1815年(17歳)、アカデミー・フランセーズの詩のコンクールで1位を取り、詩人・小説家としての片鱗をみせると、1819年には、トゥルーズのアカデミー・デ・ジュー・フロローのコンクールにて詩を2編入賞させました。

また、翌1820年には、「ベリー公爵の死についてのオード」でルイ18世から下賜金を受けています。

さらに1822年には、「オードと雑詠集」によって当時の国王から年金をもらえる立場に出世しています。

この頃には、ヴィクトル・ユーゴーは世間から「ロマン派の旗手」として広く認知されるようになっていました。

ロマン派の確立と政治活動

ヴィクトル・ユーゴーによるロマン派の作品は徐々に洗練されていき、1829年に執筆した「エルナニ」では、従来の古典派の常識を大きく覆しました。

そのため、ロマン派と古典派の間で暴動が起きるほどの騒ぎとなりましたが、「エルナニ」自体は大ヒットとなっています。

こうしてロマン派を確立させたヴィクトル・ユーゴーは、1845年に子爵の位を授けられると、政治活動にも力をいれるようになります。

ヴィクトル・ユーゴーの人道主義な一面が色濃く見られるようになったのもこの頃です。

なお、1848年にヴィクトル・ユーゴーは共和派となり、その年の大統領選挙ではルイ・ナポレオンを強力に支援しています。(後に亡命し、ナポレオン反対派にまわる)

ヴィクトル・ユーゴーの名言

ヴィクトル・ユーゴーは「名言が多い」といわれる作家でもあります。

そして、それらの名言の中にも、ヴィクトル・ユーゴーの人道主義的な一面がみられます。

  • 「不運は人物を作り、幸運は怪物を作る」
  • 「人生は愛という蜜をもつ花である」
  • 「大きな悲しみには勇気をもって立ち向かい、小さな悲しみには忍耐をもって立ち向かえ。苦労して一日の仕事を終えたら安らかに眠れ。あとは神が守ってくださる」

これらの名言をみていると、富と名声を得ても「おごりたかぶることのない人格者」だった、という人物像が見えてくるのではないでしょうか。

代表作品、レ・ミゼラブル

政治活動も行っていたヴィクトル・ユーゴーですが、その合間を縫って、非常に多くの作品を残しています。

その代表作といえば、何と言っても「レ・ミゼラブル」でしょう。

これは1本のパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ることになった主人公(ジャン・ヴァルジャン)の生涯を描いた作品です。

1845年11月17日から執筆を開始し、完成が1862年ですから、多作であったことで知られる彼にしては非常な時間をかけて執筆した大作であることがわかります。

実際、「レ・ミゼラブル」は大ヒットとなり、ヴィクトル・ユーゴーに莫大な富をもたらしています。また、現在でも舞台や映画などでたびたび取り上げられており、まさに不朽の名作といえるでしょう。

小説家兼政治家だったヴィクトル・ユーゴー

ヴィクトル・ユーゴーは「レ・ミゼラブル」の成功により後世まで名を残すことになりました。と同時に、政治家としても活躍し、人道主義者の一面をみせています。

この人道主義という観点からヴィクトル・ユーゴーの作品を読み直してみると、新しい発見があるかもしれません。

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