歴史年表から日本史の重要トピックを見てみよう。各時代ごとに紹介

2019.08.02

日本の歴史を学ぶにあたって、年表は欠かすことのできない学びの友です。今回は、年表から日本の時代区分や各時代のトピックを読み解いていきます。各時代に何が起こったのかを時系列で知ることにより、歴史の流れを俯瞰するのに役立ててください。

日本史の時代区分

時代区分とは何なのか、どのように定義されているのかという基礎的な部分から見ていきましょう。時代は歴史にとって歴史的事象をまとめた『区切り』です。その区切りの理由を深く知ることは、年表からトピックを読み解く手助けにもなります。

時代区分とは

時代区分は国や文化ごとにさまざまな種類がありますが、日本の年表を見ると、大まかに2系統に分かれます。「縄文」「鎌倉」「江戸」という『時代』で分ける系統と、「古代」「中世」「近世」というように『社会体制』で分ける系統です。

時代で分ける方法として、時代の移り変わりの基準は政治の中心が置かれた場所によって変動すると覚えておきましょう。

政治的中心地がなかった古い時期は、その時代を象徴する文化が時代の名前となります。明治時代以降は、天皇の在位時期で分けることが多いです。

また、「古代」「中世」「近世」という分け方は、ヨーロッパで行われていた時代区分を日本に当てはめたものです。これは日本だけではなく、東アジアの国々もほぼ同じような区分になっており、社会体制の大きな変化によって大きく区分されています。

歴史年表・古代の重要トピック

ここからは、実際に歴史年表を読み解きながら重要なトピックを見ていきます。まずは、古代と呼ばれる時代から確認していきましょう。

古代では、日本という国が成形されていきました。文化的側面と政治的側面から、三つのトピックを追っていきましょう。

大陸文化の渡来と弥生文化

弥生文化は、中国大陸からもたらされた風習や技術などの影響を色濃く表しています。縄文末期の日本は、食糧不足で悩まされていました。

そのような中、大陸からイネと稲作の方法をもって、朝鮮人が渡来しました。縄文人と中国、朝鮮からの渡来人が友好的に関わり合いながら、弥生文化が生まれたと考えられています。

その後、稲作が定着すると多くの食料を手にできます。食料調達の安定化は人口増加へ寄与し、余剰作物が生まれ始めたことで、力のある富裕者と、それに従う非富裕層という社会区分が生まれていきます。

弥生文化の象徴ともいえる弥生土器も、考えようによっては、食物を蓄えるという目的があり、上流階級のために作られた土器ととらえることもできます。

大和政権の誕生

4世紀前半ころ、大きな勢力を持つ首長を中心にしてムラが連合し、大規模な政権を形成しました。これが全国的に勢力を伸ばしてゆく、大和政権の始まりです。

大和政権はの王は、自らを「大王」(おおきみ)と称し、九州南部の「熊襲」(くまそ)や東北地方南部の「蝦夷」(えみし)も支配下に収め、統治体制を着々と強固なものに築き上げていくことに成功します。

対外的にも朝鮮半島の百済と強固な友好関係を結び、新羅に侵入して高句麗と戦いました。

律令国家の成立

古代最大の内乱である『壬申の乱』をきっかけとし、乱を制した大海人皇子、 後の天武天皇によって律令体制は完成に向けて大きく前進しました。

天武天皇は、681年、律令編さん開始を宣言し、ここに法による支配を前提とした律令国家の原型が生まれます。

刑部親王、藤原不比等による「大宝律令」は700年に制定され、古代国家の根本法典となりました。律は刑法、令は政治の仕組みを定めた行政法であり、絶対的な力を持った律令は国のかたちを天皇を中心とする中央集権国家へと変えていきます。

歴史年表・中世の重要トピック

次に、鎌倉時代から応仁の乱がおこるまでの中世の歴史的重要トピックを見ていきます。この時代は多くの新たな制度が生まれた変革の時代でもあります。キーとなるトピックを三つピックアップしましょう。

鎌倉幕府の誕生

源平の戦いを通して、武家の頂点に立った源頼朝が軍事指揮や行政を担う「守護」や荘園や公領を管理する「地頭」を全国に配置し、鎌倉幕府が成立します。

従来、1192年を幕府成立年とする考え方が主流でしたが、現在は頼朝が朝廷から東国支配を認められた「1183年説」や守護・地頭の設置を認められた「1185年説」などが有力とされています。

頼朝が弟・義経をかくまったことなどを理由に平泉に拠点をおいていた奥州藤原氏の討伐に成功したことなどから、鎌倉幕府による東国支配は強固なものでした。

一方で、朝廷の影響力が残った西国への支配は弱く、幕府と朝廷の二重支配構造が、次への時代変革への呼び水となっていきます。

建武新政と室町幕府の成立

鎌倉幕府滅亡後に即位した後醍醐天皇は、鎌倉幕府の政治態勢を改めようと画策します。天皇政治の理想といわれた醍醐天皇の治世を模範として、建武新政を開始しました。

建武新政では鎌倉幕府で行った地方への権利の譲渡を差し止め、再度天皇へ権限を集中させましたが、結果的に3年ほどで破綻します。

武士勢力の力は依然として強大なものであり、天皇制に反発するものも少なくありませんでした。武士である足利尊氏は度重なる戦いの末に京都を制圧し、 後醍醐天皇を廃したのです。

その後、持明院統の光明天皇を尊氏自身が擁立し、建武式目を発表しました。こうして1336年11月7日室町幕府が成立したのです。

応仁の乱と群雄割拠

応仁の乱は1467年に発生し、1478年までの約11年間にわたって長く続いた内乱のことです。この内乱の発端となったのが、室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いでした。

その後細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展してゆき、最終的には室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国に争いが拡大していきました。

この戦乱は、西軍が解体されたことがきっかけで和睦が行われはしましたが、主要な戦場となった京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃してしまいました。

将軍・守護大名の権威がなくなったため、多くの英雄が各地で勢力を振るい、互いに対立し合う戦乱の世となっていきました。

歴史年表・近世の重要トピック

ここからは、近世の重要トピックを見ていきます。近世では、世界的にも有名な戦国時代があり、さらには江戸幕府の誕生など、重要なトピックが目白押しです。中でも歴史的に重要な三つのトピックスを紹介していきます。

信長・秀吉の政治や軍略

尾張の戦国大名である織田信長は、戦国時代の大名の中でも非常に高い人気を誇る武将です。1571年の比叡山の焼き討ちや、鉄砲を使った斬新な戦い方で勝利を収めた長篠の戦いで知られ、1576年に安土城を築きました。

楽市・楽座令、関所撤廃などの革新的な経済政策を打ち出したものの、1582年に明智光秀により本能寺の変で殺害されてしまいます。

その後天下を取ったのは豊臣秀吉でした。朝廷権威を利用して政権安定を図り、1585年、秀吉は関白となり、名実ともに天下統一したことになりました。1586年、秀吉は太政大臣となり、五奉行、五大老による合議制を採用しました。

江戸幕府の誕生

1598年に秀吉が死ぬと、1600年に関ヶ原の戦いで石田三成に勝利した徳川家康が、1603年1月、家康は征夷大将軍に就任しました。江戸幕府の誕生です。

大名統制を行ったり、一国一城令や武家諸法度などの質の高い法令を頒布したりする一方、参勤交代や寺社統制を行うなどして、幕府の力を強固なものにしていきました。およそ265年という、日本の歴史上最も長く続いた江戸時代の幕開けです。

幕藩体制と産業の発達

幕藩体制下では、農業・諸産業が発達しました。そのため、近世の初期は大開発の時代と呼ばれています。

幕府の下で木綿、菜種栽培の普及により、休耕期に機織りや裁縫などの内職ができるようになりました。手工業の発達の一助となり、衣料革命が起きたのです。

ほかにも銅山の開発が進んだことによって世界有数の銅輸出国となったり、網漁である上方漁法が普及することで漁場の拡大も起こりました。

歴史年表・近代の重要トピック

最後に紹介するのは、開国から明治維新、そして大きな戦渦に巻き込まれた近代です。遠いことのように思える戦争も、実は歴史的に見ればそれほど離れていないことなのです。時代背景などをよく把握し、歴史を読み解いていきましょう。

黒船来航と開国

18世紀末から19世紀はじめにかけて、幕府は頑なに鎖国政策を堅持していました。しかし1853年、アメリカの東インド艦隊司令長官兼米使提督マシュー・ペリーが軍艦4隻を率いて開国を要求します。これがいわゆる黒船来航です。

翌年に再来航したペリーは軍艦9隻を率いて、幕府に対し開国を迫りました。ついに日米和親条約が締結され、長く続いた鎖国状態が崩れ、開国することとなったのです。

明治新政府発足

開国をきっかけに、江戸幕府への風当たりが強くなりました。朝廷の意に背く形で開国した幕府を倒そうと、尊皇攘夷運動が広く展開されます。

江戸幕府を川勢力の一掃を図ろうとした薩長は御所の門を固めて徳川勢力を閉め出し、明治天皇が王政復古の大号令を出しました。

もはや江戸幕府の支配が及ばなくなり、倒幕も時間の問題だったことを背景に、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が『大政奉還』を行い、天皇に政権を返上します。

これを受け、天皇は『王政復古の大号令』を出し、天皇中心の政府が生まれました。天皇主権による明治時代の幕開けです。

日本と戦争

明治期に入ると、日本は大きな戦渦に巻き込まれていきます。朝鮮をめぐる日清の対立をきっかけとし、1894年、日清戦争が巻き起こります。

富国強兵策をとっていた日本の圧勝で終わり、後もその勢いのまま日露戦争へ突入しました。この戦争はアメリカの仲介で和平を結んだ形となったのの、ほとんど日本の勝利のような状態でした。

明治末期に入ると軍備拡張がさらに進み、第一次世界大戦へ参戦します。続く第二次世界大戦ではアメリカから原子爆弾の投下を受け、日本はポツダム宣言を受け入れる形となりました。

こうして、長期に渡る世界大戦は終結することになったのです。その後、戦後復興、高度経済成長を経て現代へと至ります。

日本史の流れをつかもう

このように、歴史上の一つの出来事はそれ単体で独立して行われているわけではなく、すべての出来事が連綿とつながっていると言っても過言ではありません。

年表をたどることで、その重要性がよく分かったのではないでしょうか。よりよい未来のために、年表をもとにして日本史の流れをつかみましょう。

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