歌舞伎の中村屋と成田屋とは?それぞれの成り立ちと関係性をご紹介

2018.10.04

歌舞伎を観に行ったりテレビを見る中でよく聞く「成田屋」や「中村屋」といった屋号は、家系図や歴史が複雑で素人にはなかなか理解しづらくなっています。より歌舞伎を深く楽しむために、屋号の歴史やその意味について学んでいきましょう。

歌舞伎の一門とは?

そもそも歌舞伎の屋号は、市川家や中村家などの家系とどのような関係にあるのでしょうか?歌舞伎そのものの誕生から屋号が果たすようになった役割まで詳しくみていきましょう。

歌舞伎のはじまり

歌舞伎は、安土桃山時代に「出雲の阿国」という女性芸能者が「かぶき踊り」で一世を風靡したことから始まります。その後、踊りが破廉恥であるという理由から女性や幼い男児の出演が禁止されたことで、成人男性が女性を演じる現在の歌舞伎のスタイルが生まれました。

江戸時代には盛り上がる町人文化の代表格として人気を博し、明治時代には「新歌舞伎」「新派」などのジャンルの多様化が進みました。戦後に文化財として国の支援を受けるようになり、平成には十八代目中村勘三郎などの活躍により歌舞伎ブームが巻き起こり現在までその人気は続いています。

屋号の意味と主な屋号

屋号は一家・一門の特徴に基づく呼称として、江戸時代に使われ始めました。当時武士以外は苗字を持たず、土地名に名前を加えて「三河町の半七」といった形で人を判別していました。

しかし増える人口に上記の方法では判別ができなくなった時に、家の特徴で判別するようになって使われ始めたのが屋号です。

実は歌舞伎の屋号は、上記とは異なり出身地や職業を表すものではありません。歌舞伎において屋号は、役者が受け継ぐべき芸風と伝統を表すものです。よって、一門ではなく役者それぞれに屋号がつきます。

代表的なものとしては、市川團十郎の成田屋や、中村勘三郎の中村屋でしょう。同じ市川家や中村家であっても、役者によって屋号は異なるので注意しましょう。

一門に格付けはある?

基本的には屋号に格付けは存在しませんが、成田屋は別格とされています。数ある屋号の中でも最も長い歴史を持ち、歌舞伎における屋号システムの発祥とも言われていることが大きな理由です。

成田屋は特別にしても、実際は屋号はあまり関係なく、役者個人の実力と人気によってランク付けをされます。屋号で比較すると歴史が長い役者でも実力や人気が足りなければ、屋号で劣るが実力と人気のある役者よりランクは低くなります。

歌舞伎役者の屋号と序列の関係については、こちらの記事でもっと詳しく見ることができます。

歌舞伎の屋号と序列を知ろう。歴史も知ってさらに楽しく観劇

成田屋とは?

歌舞伎の歴史と屋号について理解したところで、成田屋について見ていきましょう。格付けのない屋号の中でも特別視される成田屋を理解すれば、より深く歌舞伎を楽しむことができます。

成田屋の始まり

成田屋の物語は、初代市川團十郎が後継に恵まれないという悩みから成田山の薬師堂で子授け祈願をしたことから始まります。祈願ののち望み通り長男を授かった初代團十郎は、幸福を感謝するための演目を成長した息子と共に上演し大成功を納めます。

この舞台の共演がきっかけとなり、以後成田屋の屋号を使うようになりました。

成田屋の代表的な人物と家紋

説明したように、成田屋は市川團十郎にのみ使われる屋号です。代表的な人物としては、初代に加えて、2013年になくなった十二代目、また襲名が今後期待される市川海老蔵さんが挙げられるでしょう。

  • 初代團十郎:荒事の祖。歌舞伎の市川流の家元でもあり、元禄文化が栄えた当時人気を誇る。45歳のとき、舞台上で刺殺された。
  • 十二代目團十郎:パリ・オペラ座での初の歌舞伎公演を成功させるなど、がんとの闘病を続けながら主演を続けた。人気も高かった。2013年に肺炎で死去。
  • 市川海老蔵:十二代目の息子。歌舞伎のみならずテレビなどでも活躍、六本木歌舞伎や古典歌舞伎の復活上演など精力的に活動している。

また成田屋の家紋は、升を3つ重ねたような模様の「三升」です。

成田屋の代表的なお家芸は荒事

成田屋の特徴は、何と言っても荒事です。荒事とは、超人的な力をもった主役が大活躍するさまを見せる派手な演目のことで、初代團十郎が創始しました。顔には隈取りをして、誇張して動作・発声を行います。

「暫(しばらく)」や「勧進帳(かんじんちょう)」といった演目が人気があり、特に「勧進帳」のクライマックスで行われる「飛び六方」の引っ込みは有名です。

中村屋とは?

成田屋について理解したところで、成田屋と並びよく耳にする中村屋について学んでいきましょう。成田屋におとらず人気のある屋号です。

中村屋の歴史

初代中村勘三郎は、名古屋で役者として活躍したのち江戸で歌舞伎を上演する劇場である中村座を開き、江戸歌舞伎をはじめたとされる人物です。中村座は劇場として最も古く、中村勘三郎は「柏屋」という屋号で、劇場プロデューサーであり支配人でもある座元の名跡として以後代々受け継がれてきました。

明治に入り劇場経営権が座から離れた後は「中村勘三郎」を継ぐものは長らくいませんでしたが、1950年に十七代目が襲名し、屋号を中村屋としました。これが中村屋の始まりです。

中村勘三郎の歴史は江戸時代に遡りますが、屋号としての中村屋の歴史は実はそんなに古くないのです。

中村屋の代表的な人物と家紋

中村屋の代表的な人物としては、初代勘三郎に加え、平成に一大歌舞伎ブームを作った十八代目勘三郎、またその息子である中村勘九郎と中村七之助さんをあげることができるでしょう。

  • 初代勘三郎:江戸歌舞伎の祖。名古屋で役者として活躍したのち、江戸で歌舞伎劇場である中村座を立ち上げる。
  • 十八代目勘三郎:子役時代からテレビなどで人気を集める。平成に入ってからは毎年8月に歌舞伎座で行われる納涼歌舞伎、仮説劇場を使用する平成中村座、歌舞伎以外の演劇人とコラボレーションするコクーン歌舞伎など精力的に活動し、一大歌舞伎ブームを巻き起こした。
  • 中村勘九郎:十八代目勘三郎の息子で、立役(男役)が得意。七之助とは兄弟。2019年NHK連続テレビ小説「いだてん」の主演を務める。
  • 中村七之助:十八代目勘三郎の息子で、女形が得意。勘九郎とは兄弟。

中村屋に見る歌舞伎界の弟子事情

歌舞伎には弟子と部屋子という別々の師弟制度があります。弟子は国立劇場の研修所を卒業生がなるもので、脇役としての出演や黒子として舞台上の衣装替えを手伝ったりします。

一方、役者が魅力を感じた子供を楽屋に招き、役者の立ち振る舞いや姿勢を子供に学ばせる制度が部屋子です。部屋子は歌舞伎役者の家に生まれなかった子供にとって歌舞伎役者へのエリートコースです。

中村屋の部屋子としては、中村屋・中村鶴松と高砂屋・中村梅丸をあげることができます。

  • 中村屋・中村鶴松:十八代目勘三郎の部屋子。十八代目勘三郎を「のりパパ」と呼び、その姿勢や立ち振る舞いを学んだ。
  • 高砂屋・中村梅丸:歌舞伎が好きが高じて幼い頃から日本舞踊を習い、中村梅玉の部屋子となる。

成田屋と中村屋の関係性

成田屋と中村屋、それぞれの歴史や意味を理解したところで、次に2つの屋号の関係を見ていきましょう。

関係性とその立場

上述のように、中村家や歴史ある中村座という劇場を経営していました。江戸時代には中村座で成田屋は上演を行なっており、中村家と市川家は劇場経営者と上演団体という関係を持っていました。

その他にも、四代目中村歌右衛門が四代目團十郎から成駒柄の着物を贈られたことに感謝して「成駒屋」という屋号を使ったことなど両家の関係は続きました。やはり長い歴史と実績から、格としては成田屋の屋号に軍配が上がりそうですが、直接の上下関係や敵対関係ではなく、友好な関係を築いてきたのですね。

屋号を知って歌舞伎の世界をさらに楽しむ

複雑な歴史と意味を持つ屋号ですが、成田屋・中村屋それぞれをきちんと理解することでより深く歌舞伎を楽しむことができるようになります。これをきっかけに他の屋号についても知識を深め、よりディープな歌舞伎の世界に入り込んでいきましょう。

その他のテーマ

ART

CULTURE

CRAFT

FOOD

TIME