光りを操るフランス印象派画家「モネ」の代表作とは?

2019.07.28

フランスを代表する画家クロード・モネ(1840年~1926年)。自宅の庭に池を作り水中植物をモチーフにした絵画作品を数多く残しています。モネは自然の色彩に物が溶け込む画風が特徴です。伝統に捉われずに自由な絵画を生み出したモネの生涯や代表作についてご紹介します。

モネが辿り着いた画法

幼い頃から絵を描くのが好きで得意でもありましたが、実はパリでは落選が続き芽が出るまでに時間がかかった画家でもあります。やがて印象派といわれる独特の画法で光を操る画家に成長していきます。

カリカチュアを描いていた少年時代

モネは少年時代を、ノルマンディー地方のセーヌ河口の街ル・アーブルで過ごします。5歳の頃から絵を描くのが上手く、その頃から人物のカリカチュア(個性を際立たせた似顔絵)を描いて売っていたほどでした。

10代後半の時に、文具店の店先に置いてもらっていた人物のカリカチュアが、風景画家のブーダンの目に留まり、油絵の勉強をしようと声をかけられてから、モネの油絵画家としての一歩が始まります。

パリの画塾時~サロン・ド・パリ

絵画を本格的に学ぶためにパリへ行くことを決意したモネは、父親の反対を押し切ってカリカチュアで貯めたお金でパリへ行き絵画学校に入学します。その後、画塾を開いていたシャルル・グレールのアトリエで、イギリス人画家のアルフレッド・シスレーや、後にフランス印象派画家となるピエール=オーギュスト・ルノワールらと出会います。

画塾で学ぶ中で、モネはフランスの公式美術展覧会であるサロン・ド・パリに挑戦し1866年に初めて出品した2点が入選を果たします。その翌年も入選はしましたが、生活を支えられるほどの収入がすぐに得られるわけではなく、父親からの仕送りに頼る生活が続いていました。

しかし、作品のモデルで恋人のカミーユとの交際を知り反対した父親は仕送りを止めてしまいます。その頃にカミーユとの間に息子ジャンが生まれていましたが、サロンでの落選も続き、生活に困窮する時期が続きます。

そんな中、1869年にルノアールとともにパリ郊外のリゾート地「ラ・グルヌイエール」でラフな筆遣いで絵具をのせていく印象派独自の手法を生み出します。この時に傑作と言われている「ラ・グルヌイエール」が描かれます。

その後、フランスとプロイセン王国との間で勃発した普仏戦争の兵役から逃れるために、イギリスのロンドンへ移住し、英国の風景画家の研究をしたとされています。

アルジャントゥイユ~ヴェトゥイユ

普仏戦争が終戦後、パリに戻ってきたモネは、同じく画家のエドゥアール・マネの支援を受けて、パリから離れた地「アルジャントゥイユ」にアトリエを構え、作品作りに没頭します。

この頃モネの作品を買う人やパトロンが現れ始め、生活に余裕が生まれるようになります。また、この頃に、サロンで落選者による審査などが無い展覧会をピサロ、ドガ、ルノワールといった画家と共同で開催し30人の画家が参加したと言われています。この時モネは、後の代表作の一つにもなっている「印象・日の出」を出品しますが、これが批評家達に酷評され、印象というワードで批評されたことから、後に「印象派」と呼ばれるようになったと言われています。

その後、モネ作品の収集家による作品購入が減っていき、パトロンが破産した事を契機に再び経済的に困窮したモネは、ヴェトゥイユに移り住みます。しかし、結核を患っていたカミーユは次男のミカエルの出産を機に容態が悪化しなくなってしまいます。

長年サロン・ド・パリの評価に反発していましたが、経済的な理由もあり、失意を乗り越え10年ぶりにサロンへ作品や個展に出品したことで、再び絵が売れ始め経済的な安定を取り戻します。

モネの庭で後半生は「睡蓮」を描き続ける

40代後半にモネはパリの北西土ジヴェルニーに約8000平方メートルもの広大な土地を借りて、家やアトリエ、池や花の庭を造ります。その自宅の庭で、数十年に渡り自然の風景や「睡蓮」をテーマに作品を描き続けます。睡蓮をテーマにした絵画は200点以上にものぼるそうです。

モネの代表作 part 1

モネの描いた風景画は、バランスを重視することよりも色彩に重点を置いています。従来の様式に捉われずに風景や生活の場面を描きました。

「印象・日の出」 1872年

印象派というジャンルの名前の由来となる大変重要な作品です。ル・アーブルの部屋から見た景色を描いた作品です。

ル・アーブル港の日の出の風景を柔らかいタッチで描いています。1966年から所蔵していたパリのマルモッタン美術館から1985年に何者かに盗まれ、1990年に発見され、1年後に再び展示されています。

「アルジャントゥイユのひなげし」1873年

赤いひなげしが艶やかに咲き乱れている穏やかに晴れた夏の日。「散歩・日傘をさす女性」と着ているドレスの色合いが違っていますが、妻のカミーユです。息子のジャンが被っている帽子は縁取りの赤色やリボンから同じものだと分かります。パリのオルセー美術館に所蔵されています。

「散歩・日傘をさす女性」 1875年

日傘をかざしている女性はモネの最初の妻カミーユです。彼女が長男のジャンと一緒に草原を散歩している情景を、下から仰ぎ見る構図で描かれています。ワシントンにあるナショナル・ギャラリーに所蔵されています。

逆光でカミーユが着ている白いドレスが青味がかって見えます。スカーフが風で揺れている様子など自然の中に溶け込んで屋外ならではの臨場感が味わえます。ジャンが被っている帽子は「アルジャントゥイユのひなげし」と同じ帽子だとわかります。

モネの代表作 part 2 睡蓮(すいれん)

200点以上もあるといわれている「睡蓮」は、オルセー、マルモッタン、オランジュリー、メトロポリタン、ボストン、シカゴなどの美術館で展示されています。

「睡蓮」大装飾画 1920年~1926年

パリのテュイルリー公園内にあるオランジェリー美術館に所蔵されています。1927年にオレンジ用の温室を改造して美術館となりました。モネが86歳で亡くなった翌年に完成しました。

「睡蓮の池と日本の橋」1899年

モネは浮世絵からインスピレーションを得て、太鼓橋や柳、水面に咲く睡蓮など日本庭園をイメージした庭園作りに夢中になりました。モデルは亀戸天神にある橋です。18作品描かれました。

睡蓮に魅せられた芸術家

モネが残りの人生を過ごした穏やかな時間。微妙な色の違いで光や影、水面に雲が映ったり、風で水面が揺れたりする様を描きました。そして、クロード・ドビュッシーはモネの作品から「水の反映」を書きました。睡蓮に魅せられたふたりの芸術家のコラボともいえる作品です。モネの庭は世界中から訪問される観光スポットとなっています。

その他のテーマ

ART

CULTURE

CRAFT

FOOD

TIME