ヘーゲルの哲学を2000字で解説。彼の弁証法がめざしたものとは

2019.07.17

ヘーゲルの哲学はむずかしいと言われます。哲学者の間でさえ、解釈がいろいろあるともされています。そんな前提をもとに、ここではヘーゲル哲学のあらましに迫りたいと思います。高校倫理よりちょっと深い話に興味がある、そんな人向けの記事となります。

ヘーゲルの本と彼のめざした哲学

まずヘーゲルのメインの本は何か、また彼の生きた時代と彼の哲学がどう関係しているのか、簡単に見ていきましょう。

『歴史哲学』はヘーゲルの本じゃない?

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)は19世紀前半に活躍したドイツの哲学者です。一般的にはカント、フィヒテ、シェリングとつづくドイツ観念論を大成した人物と言われています。

主著は『精神現象学』や『大論理学』。有名なのは『歴史哲学』という本ですが、こちらはヘーゲルの教え子たちが彼の死後に講義ノートをまとめて出版したものです。

ヘーゲルがめざした哲学とは

ヘーゲルの生きた時代は、となりでフランス革命が起こり、その後ナポレオンが侵攻してきた激動の時期でした。こういう時代にあっては、学問も新たな地平を切り拓かなければいけない、これがヘーゲルのめざしたものでした。

つまりデカルトの還元主義でもなくて、イギリスの経験論でもない、またその2つを統合したカントの哲学でも満足できない。もっと根本的で、そこからすべてが流れ出るような哲学を、ヘーゲルはめざしたのです。

ドイツ観念論と神秘主義

では、ヘーゲル哲学の内容とはどんなものか?読み解くカギは「主観」と「客観」、そしてドイツ観念論と神秘主義との類似性にあります。

ドイツ観念論ってなに?

ヘーゲルにとっていちばんの関心は、認識と存在でした。つまり「世界を見る私」と「私に見られる世界」、言いかえれば「主観」と「客観」です。

ふつうわたしたちは、この主観と客観を別々のものだと捉えています。でも、本当にそうだろうか、よくよく突き詰めて考えれば根源的なところではひとつになるんじゃないか。これがカントに始まりフィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと受け継がれるドイツ観念論でした。

神秘主義と似ているところ

こうした考え方は神秘主義とよく似ています。たとえば新プラトン主義やイスラム教のスーフィズム、仏教における瞑想などでは、主観と客観という対立をすこしずつ解消していって、最終的に絶対的な何か(イデア、神、悟り)に到達することを目指します。

そこでは「世界を見る私」と「私に見られる世界」が合わさってひとつになっている、その主観とも客観とも言えない絶対的な何かが世界であり私である、そこから全てが流れ出る、とします。「一即全、全即一」と表現されることもあります。

ヘーゲルの弁証法の目的

ヘーゲルが主張したのも、この主観と客観の対立解消だったのです。そしてヘーゲルがこの対立を解消した仕方、それがのちにヘーゲルの弁証法と呼ばれました。

弁証法はヘーゲルの言いたいことじゃない

弁証法とは、ある命題と(正)、その命題に含まれる矛盾(反)を対立させ、そこからより良い解決策を見つけ出す(合)という考え方です。より良くすることを「アウフヘーベン」とドイツ語のまま言ったりします。

この弁証法自体がヘーゲルの哲学だと思われていることもありますが、これは誤解です。弁証法という方法は昔からあり、ヘーゲルが最初というわけではありません。ただヘーゲルはこの方法のような図式で、主観と客観の二項対立を解消しようとしたのでした。

世界は絶対者の自己展開だ

ヘーゲルにとって、主観と客観の対立を乗り越えた先にあるのは、絶対的な一者でした。それはカントやフィヒテが言うどこかかなたにあるものではなくて、またシェリングの言う静的なものでもありません。それは動的に自己展開していきます。ヘーゲルにとってはそれこそ世界の本質なのでした。

こうしたヘーゲルの哲学が、のちにマルクスによって批判的に受け継がれ、やがて史的唯物論となって19世紀、20世紀の思想の一大潮流となっていくのです。

ヘーゲル哲学の解釈はいろいろ

ヘーゲルの哲学をできるだけわかりやすく解説する、そんな記事をめざしましたが、いかがだったでしょうか。彼の哲学は多岐にわたり、しかも奥が深いので、この記事でちょっとしたイメージだけでも掴んでいただけたなら幸いです。

また冒頭にも書きましたが、ヘーゲル哲学の解釈はいろいろあり、この記事はあくまでそのひとつです。ヘーゲルを読んで自分なりの解釈をもつ、これができるところがヘーゲル哲学の面白さであり、いまなおヘーゲルが語られつづける理由でもあるでしょう。

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