ワルツ王の異名を持つ『ヨハン・シュトラウス2世』。代表作や逸話を紹介

2019.07.12

ヨハン・シュトラウス2世(1825年~1899年)は、オーストリアの作曲家、指揮者です。音楽の都ウィーンを拠点として活躍した音楽家であり、ウィーンフィルの新年の演奏会ではシュトラウスの作品がメインに演奏されるなど、今でも音楽界における影響は数知れません。そんな彼の、知られざる父親との激しい戦いや代表作を解説します。

ヨハン・シュトラウスの生涯

ヨハン・シュトラウス2世は、華麗なる音楽一家で育ちました。幼いころから、父親であると同時に『ワルツ王』の異名を持っていた偉大な作曲家、ヨハン・シュトラウス1世から強い影響を受け、音楽家になることを憧れていました。

しかし、音楽家を生業とすることの厳しさを身をもって知っていた父は、息子が音楽家になることに猛反対。父親の楽団員から、こっそりヴァイオリンを教えてもらうなどしていましたが、それを知った父はその楽団員を即座にクビにしてしまうほど激怒したといいます。

そんな逆境にもめげずに、ヨハン・シュトラウス2世は父に隠れて音楽の才能をめきめきと開花させていきます。その一方で、息子が音楽家になることを望まない父との関係は日に日に悪化していきました。

18歳で音楽家デビュー

ヨハン・シュトラウス2世が音楽家としてデビューを果たしたのは18歳のときのことです。このころ、父であるヨハン・シュトラウス1世は愛人のもとに入り浸るようになっており、家庭にもお金をいれないような状態になっていたといいます。

当時の法律では20歳以上でないと音楽家になれませんでしたが、彼は父親が愛人をつくり家庭を顧みないこと、18歳のヨハンが家族を守らなければならないことを涙ながらに訴えることで役所を説き伏せ、ヨハン・シュトラウス2世の音楽家としてのキャリアがスタートすることになりました。

父親とのワルツ合戦

反対したにもかかわらず音楽家になった息子と、デビューを妨害しあまつさえ愛人のもとに入り浸る父親。そんな経緯もあり、ヨハン・シュトラウス2世と父との関係は、なかなか改善しなかったといいます。

しかし、おりしも音楽界で『ワルツ王』の異名をとっていた偉大な父、ヨハン・シュトラウス1世の名は、音楽家として生きていく以上避けては通れないものでした。父とはライバル作曲家と目され、互いに楽曲を発表しあう激しい「戦い」をしていくことになります。これらの一連の流れを「ワルツ合戦」と呼ぶこともあります。

しかし、やはり親子というべきでしょうか。父と母との離婚が正式に成立し時がたつと、やがて2人は和解し、お互いに音楽上の協力を行うまでに関係は改善しました。

音楽家からも高い評価を得る

父ヨハン・シュトラウス1世が亡くなると、父の楽団や名声までもをヨハン・シュトラウス2世が一手に引き受けることになり、次第にオーストリアのみならずヨーロッパ中で絶大な人気を博すこととなっていきました。

父のヨハン・シュトラウス1世の異名であった『ワルツ王』は、いつの間にか彼の異名となりました。『ウィーンの太陽』『ウィーンの皇帝』などと呼ばれることもあり、大衆からの人気のみならず当時の音楽家からも最も優れた作曲家であると認められるほどでした。

こうして、ヨハン・シュトラウス2世は、偉大な父の名声を乗り越え、名実ともに『ワルツ王』となっていったのです。

ヨハン・シュトラウスの代表作

そんなウィンナ・ワルツの頂点を築いたヨハン・シュトラウス2世の、おすすめの作品をご紹介します。どれも聴いたことがある名曲揃いです。

美しく青きドナウ 作品 314

『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』とあわせて「三大ワルツ」と呼ばれることもある、ヨハン・シュトラウス2世の代表作と目されるワルツです。中でもこの曲は人気が高く、ブラームス、ワーグナー、ラヴェルなど多くの音楽家からも愛されました。

ウィーンフィルの新年の演奏会で毎年必ずアンコールで演奏される曲です。ちなみに、アンコールの2曲目は父親シュトラウス1世の『ラデッキー行進曲』で締めくくるというスタイルが定着しています。

ウィーンの森の物語 ヘ長調 作品 325

三大ワルツのひとつにも数えられるこの曲は、演奏会用に作曲されたウィンナワルツであり、踊る用ではないとされています。

ウィーンの美しく深い森を連想させるような美しい曲ですが、実はヨハン・シュトラウス2世は超インドア派として有名。旅行が嫌いで、特に鉄道に乗ることを異常なほど毛嫌いしており、豊かな自然や田舎の中に出掛けることも大嫌いでした。そんな彼がなぜ森をテーマに曲を書いたのか、真相は不明だそう。やはり天才音楽家は、ちょっと変わっているのかもしれません。

南国のバラ 作品 ヘ長調 388

イタリア国王のお気に入りのオペレッタ「女王陛下のハンカチーフ」から4曲をメドレー形式で編曲しました。シュトラウスの十大ワルツの一つで人気のある作品です。

春の声 変ロ長調 作品 410

親友のフランツ・リストとパーティーに招かれてたときに、その場で書いたといわれています。ソプラノ歌手とオーケストラの伴奏が付く歌曲として作曲されました。

このころ、ヨハン・シュトラウス2世と不貞の妻・アンゲリカとの離婚が正式に成立した一方、彼にとって3度目の結婚相手となる妻・アデーレとの結婚を決意したころの楽曲とされており、その嬉しさや喜びが伝わってくるような作品です。

オペレッタ『こうもり』序曲 作品 362

数あるオペレッタの中でも最も人気があり、オペレッタの傑作です。魅力はやはり楽しく陽気な雰囲気。ウキウキとした感じの曲を聴くと、気持ちも晴れやかになりますよね。特に序曲は有名で、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。有名なアニメ作品、トムとジェリーの『星空の音楽会』にも登場し、そこで知ったという人も多くいます。

ヨハン・シュトラウスの逸話

そんな華々しい音楽家人生を歩み、世渡り上手でもあったヨハンの意外なエピソードをご紹介します。

速い乗り物が苦手

先ほど軽く触れたように、彼は今でいう『アウトドア』を毛嫌いしていたことで有名でした。特に鉄道嫌いは異常なほどで、どうしても列車に乗らなければならないときには、外の風景が目に入らないようにカーテンをぴったりと閉め、床に座り込んでシャンパンを飲むことで気を紛らわせていたといいます。

ちなみに、彼の有名な作品の中には、オーストリア南部鉄道の開通をテーマにした作品『観光列車』という楽曲もあります。『ウィーンの森の物語』もそうでしたが、大嫌いなものをテーマに作曲するというのはどういう心理なのでしょうか。ヨハン・シュトラウス2世の変わり者エピソードといえるでしょう。

ワルツを踊るのが苦手

先述の通り、彼は『ワルツ王』の異名をとるほど、ワルツを書くことにかけては当代一の実力でした。しかし、ワルツを踊ることにかけては苦手意識があったようで、人前では何が何でも決してワルツを踊ろうとしなかったといわれています。

作曲とダンスは別物なのでしょうが、ワルツ王と呼ばれる彼の意外なエピソードとして有名です。

音楽一家シュトラウスの天才児

ヨハン・シュトラウス2世の生涯と代表作、面白い逸話を紹介してきました。彼は、様々な障害にぶつかりながらも、偉大なる父ヨハン・シュトラウス1世の名前をも乗り越え、『ワルツ王』といわれるようになった偉大な音楽家です。

現代でもよく耳にする有名作品も数多いので、ぜひこの記事を参考に、彼の作品を鑑賞してみてください。

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