歴史上の『未解決ミステリー』12選。日本・世界の歴史に残る謎とは

2019.07.06

歴史上の出来事や人物には、いまだに解明されていないミステリーが多く存在します。魅力的な歴史ミステリーに触れることで、歴史への理解もより深めることが可能です。日本史と世界史から、主な歴史ミステリーを厳選して紹介します。

歴史ミステリーとは

『ミステリー』とは、『神秘的なこと』や『不思議な出来事』を指し、『謎』という言葉にも置き換えられます。ある程度の判断材料が揃い、考え方に論理性が伴っていれば、ミステリーに対する謎解きはより魅力的なものになるといえるでしょう。

歴史というジャンルにおいても、様々なミステリーが存在します。歴史におけるミステリーの魅力について考えてみましょう。

歴史ミステリーの魅力

歴史は、文献・写真・音声・映像などの『史料』を基に作られるものです。口頭伝承も歴史を構成する要素と捉えられるでしょう。史料が十分にそろっているものに比べ、資料が少ないものに関しては謎が多くなり、ミステリーとして扱われやすくなります。

また、それまで確かだと思われていたものも、新しい史料の発見や解釈方法の変更により、確実性が揺らぐことがあります。このような場合もミステリーとして魅力を感じやすくなるでしょう。

日本史・世界史共に、歴史には多くのミステリーが存在します。歴史に対する理解が深まるほど、魅力を感じる歴史ミステリーも増え、そのことがさらに歴史自体への魅力を高めるのです。

日本史のミステリー

日本史における主なミステリーを紹介します。

邪馬台国の位置

邪馬台国は、弥生時代に卑弥呼が治めていたとされる国ですが、日本のどこに位置していたのかいまだにはっきりと分かっていません。

邪馬台国に関する記述は、中国の正史『魏志倭人伝』の中にみられ、日本を訪れた魏の使者が見た邪馬台国の様子が描かれています。かなり細かく書かれていることもあり、邪馬台国が実在したこと自体は確かなものであるとされています。

しかし、邪馬台国の場所だけははっきりせず、琵琶湖湖畔や大阪などの『近畿説』、福岡・大分・宮崎などの『九州説』など、複数の可能性から絞りきれていないのが現状です。

魏志倭人伝によれば、魏の王から卑弥呼に金印が授けられたとありますが、この金印は現在までどの遺跡からも発掘されていません。今後、金印が出土すれば、邪馬台国の位置を確定する決定的な証拠となるでしょう。

本能寺の変

京都の本能寺に宿泊していた織田信長が家臣の明智光秀に襲撃され、信長自ら寺に火をつけ自害したとされる『本能寺の変』は、謎の部分が多いことで知られています。

そもそも、なぜ光秀が信長を襲撃したのか、理由がいまだに分かっていません。信長から手酷い扱いを受けていた恨みを晴らすためという説が有力ですが、後世の創作物で脚色された話と入り混じっている可能性も指摘されています。

他にも、下克上を目論んだ野心説、信長の存在をうとむ者からそそのかされた黒幕説、秀吉と手を組み首謀した謀反説などありますが、どれも光秀の動機を決定付けるまでには至っていません。

また、天下統一に王手をかけ敵が多い状況であるはずの信長が、なぜ手薄な警備で本能寺に宿泊していたのかも、大きな謎とされています。

さらに、本能寺の焼け跡からは、信長の亡骸が見つかっていません。このことに関しても、家臣たちがひそかに亡骸を運び出し弔ったという説から、信長が生きて逃げのび身を隠し続けたという説まで、様々な可能性が語られています。

徳川埋蔵金

徳川埋蔵金は、大政奉還の際に江戸幕府が密かに地中へ隠したとされる金品です。現在の貨幣価値に換算すると数千億円以上にのぼるともいわれています。

事の発端は、財政難にあえいでいた明治政府が幕府の御用金を資金源として期待したことでした。しかし、城内の蔵が空であったため、幕府が隠匿したと判断した新政府により埋蔵金探しが始まり、その後も研究者たちによる場所の特定作業が現在まで続いています。

徳川埋蔵金自体の存在や隠し場所を示唆する証拠としては、様々な文献や地図などが研究対象として取り扱われ、実際に発掘作業も各地で繰り返し行われています。しかし、いまだにそれらしき金品は発見されていません。

現在でも研究は進められていますが、幕末の徳川幕府は大赤字であったとも考えられており、埋蔵金の存在自体がないとの見方もあるようです。

日本の歴史人物ミステリー

日本史における歴史上の人物に関し、主なミステリーを紹介します。

聖徳太子は本当に実在したのか

誰もがその名を知る、日本古代史上最大級の偉人『聖徳太子』は、近年その存在自体が危ぶまれています。

理由としては、優秀な人物であるとされながら『日本書紀』以前の史料に全く登場しないことや、『法隆寺』に残されていた史料内の聖徳太子と『日本書紀』内の聖徳太子が、様々な面で一致しないことなどが挙げられます。

近年の研究では、当時の政治的な背景により、聖徳太子という偉人を作り上げる必要があったという説が有力とされています。また、聖徳太子のモデルとされる『厩戸王』は、飛鳥時代の政治家として実在したことが確認されている人物です。

『十七条憲法』『冠位十二階』『遣隋使派遣』は実際にあったことが確認されていますが、厩戸王の主体的関与の証拠は見つかっていません。聖徳太子の周辺は、実は不確かなことばかりで飾られているといってもよいでしょう。

卑弥呼は架空の人物?

卑弥呼は、3世紀頃に邪馬台国を治めていたとされる女王ですが、『古事記』や『日本書紀』など日本の正式な歴史書とされる書物には一切登場しません。

『魏志倭人伝』『三国史記』『後漢書』といった、中国や朝鮮半島の書物にのみ、卑弥呼の名は記述されています。このため、卑弥呼は架空の人物ではないかという説がよく語られます。

しかし、『魏志倭人伝』によると、当時の日本には元々男性の王がいたが争いが絶えなかったため、卑弥呼という名の女王をおいたと書かれており、人々が暮らす様子なども事細かく描写されているため、卑弥呼は実在したという説が現在では有力なようです。

聖徳太子に関するものもそうですが、日本人なら誰もが知る歴史上の有名人が「実はいなかった」という説は衝撃的で興味をそそられますね。

南公坊天海の正体に迫る

南公坊天海は、徳川家康の側近として江戸幕府初期の政治や宗教政策に深く関与し、『黒衣の将軍』とも呼ばれた天台宗の僧です。仏教界で名を馳せ、家康も天海のアドバイスによく耳を傾けていたといわれています。

しかし、用心深いことで知られる家康が畑違いの僧侶を参謀に招き入れたことに後世の人々が違和感を感じ、天海の正体は家康でも信頼の置ける人物だったのではないかと考えられるようになりました。

天海の正体として最も有力といわれている人物が明智光秀です。非常に優秀な人材であったといわれる光秀なら、家康が能力を惜しんでかくまい、素性を隠しながら重用したとしてもおかしくないと言われています。

他にも、家康にまつわるミステリーとして、松尾芭蕉の正体は家康が忍者部隊の長に任命した服部半蔵であったのではないかという噂も知られています。

世界の歴史ミステリー

世界の歴史ミステリーとして、三つの世界遺産にまつわる謎を紹介します。

ピラミッド

エジプトのピラミッドは、人類史上最も有名な建造物として知られ、クフ王が眠ったとされるギザの大ピラミッドは世界遺産にも登録されています。

高さは約150m、石の平均重量は1個あたり約2.5トン、230~260万個の石が使われ、総重量600万~700万トンと見積もられる、非常に巨大な建造物です。

このような建造物を作ることは、現在における最先端の技術をもってしても困難といわれ、実際にどのような作業で作られたのかはいまだに謎のままです。

また、ピラミッドを作った目的に関しても色々な憶測が語られ、世界で最も有名なミステリーの一つとされています。

ナスカの地上絵

ペルーの世界遺産であるナスカの地上絵は、世界のミステリーを語る際に必ず名前が挙げられるほど有名です。広い地表面に大きなスケールで動物や植物が描かれ、あまりの広大さや絵の緻密さから、作成方法や目的は謎とされています。

最近になって、地上絵の端にあった杭や地上絵の縮図が発見されたことにより、ナスカの地上絵は『拡大法』というデザイン技法により描かれたという説が有力となっています。

描かれた目的とされる説は、太陽や星の動きを表したカレンダー説、死者へのメッセージ説、絵の上を歩かせ絵柄を言い当てるテスト説、雨乞い説、宇宙人の目印説など様々です。

ストーンヘンジ

イギリスのロンドン郊外にあり、世界遺産にも登録されているストーンヘンジは、世界のミステリーとして広く知られる存在の一つです。

長さ最大5mにも及ぶ30個の石が、直径約100mの円形状に配置され、建設時期は日本における縄文時代と同時期までさかのぼるといわれています。

当時の技術では作成不可能と考えられ、作成した目的もはっきりと分かっていません。夏至と冬至のときに朝日が差し込む角度が規則的なことから、天空の事象を観察するための天文学的特徴を持った施設であるとの説が有力とされています。

世界の歴史人物ミステリー

世界史における歴史上の人物に関し、主なミステリーを紹介します。

始皇帝にまつわる逸話

秦の始皇帝は、500年続いた乱世をたった一代で統一した中国の皇帝です。始皇帝に関しては、様々な逸話が語られています。

始皇帝は万里の長城を作った人物として知られていますが、近年の研究により、長城自体は秦の建国前から点在していたことが分かっています。

北方の遊牧民族から国を守る目的により、中国統一前のいくつかの国家がそれぞれに作ったものを、始皇帝がつなぎ合わせたことで現在の長くつながった形に仕上がりました。

また、始皇帝という強力なリーダーの死が国を混乱させることを恐れた配下たちは、始皇帝がこの世を去った際、必死にその事実を隠したといわれています。始皇帝の死後も彼が生きているかのように振る舞い、死後2カ月経過した後にようやく二世が即位しています。

謎だらけのシェイクスピアの生涯

シェイクスピアは、『ハムレット』『リア王』などの四大悲劇をはじめ、演劇史に残る名作を数多く残し、『劇聖』と称されています。しかし、生涯において謎が多いことでも知られる人物です。

例えば、彼自身が記したとされる署名が四つ残されていますが、全て筆跡が異なります。また、遺言状に自分の作品について言及がなかったことや、彼が知り得ないはずの専門的な法律の知識を有していたことなど、不可解な点が多く指摘されています。

さらに、一般的に高名な芸術家であれば書いていた芸術論などの著作を、シェイクスピアは1冊も残していないうえ、人となりもほとんど明らかにされていません。

これらのようなことから、シェイクスピアは複数の劇作家による集団だったという説や、当時の劇作家に名義を貸していただけだったという説などが語られ、シェイクスピア別人説に関する本まで出版されています。

切り裂きジャックの犯人像は?

切り裂きジャックとは、1888年にイギリスで実際に起きた女性連続殺人事件の犯人です。この事件は世界で最も有名な未解決事件として知られています。

切り裂きジャックによる被害者は、公式には5人とされていますが、同一犯による犯行と思われる殺人事件は、合計で最大20件にものぼるといわれています。また、犯行前に予告状を送るなど、劇場型犯罪の元祖としても知られる事件です。

切り裂きジャックの犯行は、身元が特定できないほどバラバラにされた遺体が特徴です。そのため、犯人は解剖学の知識を持つ医者、または肉屋ではないかと考えられています。

最近では、DNA鑑定により科学的なアプローチで犯人像に迫る試みもなされていますが、100年以上経った今でも犯人の正体を特定できず、真相は闇の中です。

ミステリーを知って歴史を楽しもう

日本史・世界史問わず、歴史には数多くのミステリーが存在します。歴史上の出来事や人物にまつわる謎を知ることで、より歴史を楽しめるようになるでしょう。

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