サグラダ・ファミリアは「2026年に完成予定」と発表になっていますが、ここまでの歴史を振り返ると、決して平坦な道のりではなかったようです。この記事では、そんなサグラダ・ファミリアの歴史についてご紹介します。
サグラダ・ファミリアの歴史 ガウディ着工
「サグラダ・ファミリア」は、民間カトリック団体「サン・ホセ教会」が設立を計画し、その設計は建築家フランシスコ・ビリャ―ルに任されていました。
しかし、1882年に着工したフランシスコ・ビリャ―ルは、翌年に「意見が合わない」ことを理由に設計者を辞任してしまいます。
そこで、フランシスコ・ビリャ―ルの後任となったのが、アントニ・ガウディです。
当時アントニ・ガウディは無名の建築家でしたが、この英断が後に世界文化遺産に登録されるほどの建築物を生み出すことになります。
アントニ・ガウディはフランシスコ・ビリャ―ルが立てていた設計を白紙に戻し、自ら設計を練り直しました。
その結果、現在に至るまで未完成となる巨大な建造物が建てられる訳ですが、アントニ・ガウディ自身も生きている間に完成するとは思っていなかったことでしょう。
実際、アントニ・ガウディが建てたのは、全体の5分の1~4分の1程度となっています。
サグラダ・ファミリアの歴史 スペイン内戦
1926年にアントニ・ガウディが亡くなった後は、その弟子達が工事を引き継ぎましたが、10年後の1936年にスペインは内戦に突入します。
この内戦は1939年に終結しますが、サグラダ・ファミリアの工事が再開されたのは、1952年のことでした。
というのも、アントニ・ガウディが残していた設計に関する資料の大半が失われていたからです。
もはやアントニ・ガウディのイメージを実現することが不可能となったため、工事の継続を疑問視する声もあったそうですが…
結局、中断前に工事に携わって職人に話を聞いたり、わずかに残ったデッサンから完成図を推測したりしながら、工事を進めることになりました。
ただし、ここで別の問題が発生します。
それは工事資金の大幅な不足です。
サグラダ・ファミリアは「贖罪教会」として建てられていました。
贖罪とは「犠牲や代償を捧げて罪をあがなう」ことであり、その収入源は贖罪に来た信者達からの喜捨と観光収入のみとなっています。
当時のスペインは内戦が終結していたとはいえ、まだまだ世界的な観光地とはいえない状態でしたから、観光収入は現在ほど多くはありません。
そのため、信者達からの喜捨と合わせても、工事資金が大幅に不足していたのです。
このことから、工期に大幅な遅れが生じるようになり、「完成までに300年はかかる」という評判が定着するようになりました。
サグラダ・ファミリアの歴史 完成の目途
資金不足のサグラダ・ファミリアでしたが、その問題が解消されるきっかけとなったのが、1975年のフランコ国王の死去です。
フランコ国王は内戦を指揮し、その後独裁政治を行っていたのですが、後任のフアン・カルロス1世はそれを受け継がず、スペインの政治は民主化されることになります。
同時に、二つに分かれていたスペイン政府(共和国政府と亡命政府)の統一が果たされ、国として徐々に繁栄を取り戻していきます。
その結果、1990年代に入ると観光収入が増え、サグラダ・ファミリアの工事資金不足も徐々に解消されていきました。
また、近年では、3Dプリンターなどのハイテクを駆使した工事が行われるようになり、以前と比べると大幅に作業効率が上がっています。
その結果、「2026年」という完成の目途が立ち、現在はそれに向かって工事が進められています。
ちなみに、現在サグラダ・ファミリアで主任彫刻家を務めているのは、日本人の外尾悦郎氏です。
サグラダ・ファミリアの歴史は波乱万丈
サグラダ・ファミリアの建築は、設計者の辞任に始まり、内戦、資金不足などを乗り越えて、現在に至ります。
ここにきてやっと完成の目途が立ちましたが、その完成を心待ちにしている人は多いことでしょう。
世界文化遺産として非常に価値の高い建築物なので、最後まで丁寧に仕上げてほしいところです。