日本の伝統工芸『日本刀』の技術を解説。数々の名刀と逸話も紹介

2019.06.13

日本刀は海外から注目される日本の伝統工芸品であり、現在にいたるまで数多くの名刀が存在しています。そんな日本刀の名刀の中には、数々の武将との逸話が残るものも多くあります。そこで今回は日本刀の技術と、その技術に裏打ちされた名刀の数々をエピソード付きで紹介していきます。

世界から注目される日本刀の製法技術

刀と言っても日本だけでなく、世界中で刀は作られています。しかしその中でも日本刀が作られる技法は素晴らしいと言われており、世界中から注目を浴びています。

そんな注目を浴びている日本刀ですが、果たしてどのような技術が用いられているのでしょうか?まずは日本ならではの技法を使った、日本刀作成の際に使われている技術を見ていきましょう。

数種類の鋼を混ぜる技術

日本刀を作っていく際には、和鋼や玉鋼と言う鋼作りからスタートしていきます。和鋼の原料は砂鉄で、たたら吹きと言う日本オリジナルの技法によって、高純度な不純物がほとんどない鋼を作り出していくのです。

そこから鋼から地金を作っていくのですが、ここでも日本独特の技法が用いられます。まず鋼を平たくし、余計な部分を水減しという技法によって擦り落していきます。そして下鍛えが済んだら、4種類もの鋼を組み合わせていきます。

具体的な鋼の名前が、「心金」「棟金」「刃金」「側金」になります。これを組み合わせつつ、上鍛えと鍛接、素延べ、火造りなどを行っていった結果、日本刀特注の形状を作っていくのです。

洗練された焼き入れ技術

日本特有の技術を駆使して作った刀身を、次は焼き入れしていきます。800度近くまで上がった温度の炉の中に刀身を入れていき、そのまま急激に冷やしていくのです。急激に冷やされた刀身は、日本刀独特の反りが生じるようになり、強度を増していきます。

そこからは鍛冶押しや茎を仕立てる茎仕立てという技術を駆使しながら全体の形を整えていくのです。そして刀身を安定させていった後に刀に必要とされる鞘、鍔を身につけていきます。

最後に装飾を施した柄などを取り付ければ、日本刀の完成です。これだけの技術が織り込まれているので、海外でも真似するのは困難を極め、世界中から注目される技術となっていったとされています。

有名なあの人が使用した日本刀の名刀とは

そんな様々な技術が盛り込まれた日本刀ですが、中には有名な歴史上の人物が保有していたとされている日本刀も存在します。そこでここでは、有名な歴史上の人物が使用していたとされる、名刀と呼ばれる日本刀を紹介していきます。

菊一文字則宗(沖田総司)

菊一文字則宗は、知名度的には日本刀の中でも最強クラスの知名度を誇る有名な名刀です。菊一文字則宗は、新選組でも人気を博していた沖田総司が所有していたといわれており、細身の太刀で美しくかっこいい刀身が魅力的となっています。

どの刀にも負けない日本刀と言え、今では重要文化財と国宝として扱われています。日本刀の中でも希少性が高く、今後日本刀を知っていこうと思っている人は、必ず知っておくべき刀と言えるでしょう。

雷切(上杉謙信)

雷切という刀は上杉謙信がこよなく愛した刀として注目を浴びた、名刀中の名刀と言える刀となります。この刀には1つの伝説があり、上杉謙信が単身で武田軍に突撃した際に、武田軍の鉄砲兵を鉄砲ごと切り捨てたという言い伝えがあります。

そのため、雷切とは別に「鉄砲切り兼光」という名前もついています。また雷切という名前ですが、越後の農民が雷雨に合った際に刀を雨除け代わりにして使ったら、雨は止み刀から血が出ていたことから名前が付けられたとされています。

宗三左文字(武田信虎)

宗三左文字の何よりの特徴と言えば、全体的に黒を基調としている美しい刀身です。現在は重要文化財にも指定されており、最初の持ち主は武田信玄の父である武田信虎が保有していました。しかしその後は織田信長が使用したことで、一気に知名度を上げる刀となっていきました。

本能寺の変で織田信長が亡くなった際には、豊臣秀吉に伝来し、その後は徳川家康へと渡っていきます。これだけ有名な武将に伝来している刀も珍しいのですが、それだけ魅力のある刀だという証拠とも言えるでしょう。

へし切り長谷部(織田信長)

へし切り長谷部は織田信長の愛刀として使われており、今となっては重要指定文化財と国宝に指定されている貴重な日本刀です。織田信長に渡った後は黒田官兵衛に拝領されており、今は福岡市博物館に所蔵されてます。

名前の由来ですが、織田信長が敵対してきた茶坊主を殺そうとした際に、身を潜めていた茶坊主を棚ごと圧し切りにしてしまったことからこの名前がついたとされています。

鬼夜叉(伊東一刀斎)

鬼夜叉は戦国時代において一刀流剣術の祖となった、伊東一刀斎が愛刀として保有していたとされた日本刀です。別名は「瓶割刀(かめわりとう)」とも呼ばれていますが、そこには1つの言い伝えがあります。

幼少期「鬼夜叉」と言われていた伊藤一刀斎ですが、三島神社という神社に賊が押し入った際、瓶に隠れていた賊を瓶のまま斬り捨てました。この時の刀は三島神社から授かった刀で、そこから「瓶割」との名前が付いたのです。

日本刀で悲劇が始まる?最強とも言われる妖刀「村正」

日本刀の中には名刀と呼ばれる刀が多くありますが、妖刀と呼ばれる曰くつきの刀があります。その中でも有名な妖刀が村正です。村正にはいろいろな言い伝えがありますが、いったいどのような曰くがあるのでしょうか?

そこでここでは、妖刀「村正」について解説していきます。

妖刀と呼ばれる理由

村正が妖刀と呼ばれるのには、大きな理由があります。村正はかなり実用性に優れた刀で、切れ味が大変良いものとされています。しかしその歴史を紐解いていくと、数多くの人を死に追いやったり、けがをさせてしまったりと、人を不幸にさせているという伝説があります。

まず徳川家康の祖父である松平清康が、殺害された際に使用されたのが村正だと言われています。さらに祖父に留まらず父親が、岩松八弥に襲撃されたときに使用されたのも村正です。他にも関ヶ原の戦いで家康がケガをしてしまった時や、真田幸村が家康に投げつけたとされる短刀もすべて村正になります。

このような事情から、村正は徳川家に不幸をもたらすとされ、そこから派生して村正は人を不幸にする妖刀と呼ばれるようになっていったのです。

村正の現在とは

村正は今貯蔵されておりなかなか見る機会が少なくなってきていますが、時々展示されることがあります。主には博物館での展示が多くを占めており、期間限定で展示を見ることが可能です。

美術品や骨董品として扱われることが多いので、近くの博物館や美術館で日本刀の展覧会が開かれた際には、一度見に行ってみてはいかがでしょうか。

日本刀ファンは海外にも

男なら誰でも憧れを持つ刀。日本国内でも人気ですが、最近では海外でも人気を集めています。数百万円もする日本刀を旅行がてらに購入して行く外国人も少なくないのだとか。日本刀は拳銃の弾なども真っ二つにするほどの切れ味を持っており、かっこよさだけではなく、性能も一級品です。

一部の地域では実際に日本刀を持ち、物を切るのを体験するツアーなどもあるそうなので、一度体験してみるのもいいですね。

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