日本人なら知らず識らずのうちに覚えている作家『宮沢賢治』。文学に全く興味がない人でも、その名前だけは頭の片隅に残っているはずです。そんな彼の著作は掘り起こしてみれば掘り起こすだけ、名作がぞろぞろと出てきます。知っていて損はない宮沢作品の代表作を本稿で学んでいきましょう。
詩人?作家?宮沢賢治とは
宮沢賢治と聞いて何が想像できるでしょう。ファンであるならまだしも、詳しくない人からすれば詩人なのか作家のなのか、曖昧な解釈をしている場合が多いはずです。宮沢作品の魅力に迫るには、まず宮沢賢治本人のことについて知っておくべきです。ここからはそんな宮沢賢治自身のことについて紹介していきます。
文才溢れるマルチライター
宮沢賢治は1896年に岩手県の農村に生を受けました。幼少の頃から病弱であり大病を患ってしまうこともあったため、農民生活を夢見ながらも父から習う仏教への熱心な信仰を軸に、詩人作家としての道を歩みました。
優れた詩や小説を残しましたが、生前は知名度に恵まれず、没後数年経った後に作品の知名度が高まり、現代のような高い評価を受けるに至ります。
宮沢賢治の詩といえば
宮沢賢治の詩を読んだことがあるでしょうか?現代では詩を朗読する場面のほとんどが教育現場などに限定されているため、過去に読んだことがあっても忘れてしまっているケースが多いと思います。ここからはそんな記憶の片隅に残っているかもしれない宮沢賢治の詩作品を紹介していきます。
雨ニモマケズ
『雨ニモマケズ』は1931年に執筆されたとされる作品です。実家で闘病生活を送っていた際に宮沢が書き記したメモが本作と言われています。実際に世間の目に触れたのは死後1年が経った1934年であり、宮沢にとって果たして重要な作品であったか否かはわからなくなっています。
「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ノモ夏ノ暑サニモマケヌ…(※)」という書き出しはあまりにも有名なため、どこかで一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。全編の内容は、自己犠牲的で博愛主義的な思想を持つ人物になりたいという願望を投影したもので、その道徳的観念から近年に至っても教育現場の教材に収録されることがあります。
(※読みやすさを考慮し、読点は編集部にて追記しています。)
春と修羅
『春と修羅』は1924年に発表された宮沢賢治のデビュー作とも言える詩作品集です。その内容は同名の詩を含む、数十種類の詩からなるボリューミーなものとなっており、全3種類が刊行されています。
詩の内容については、宮沢自身のことであろう『おれ』が自分のあり方を提示するものであり、そんな内容を象徴するように副題についても「心象スケッチ」と銘打たれています。
宮沢賢治の小説といえば
前述にもある通り、宮沢賢治は優れた詩人でしたが、小説作家としても多くの作品を残しています。
宮沢賢治はデンマークの名童話作家であるアンデルセンからの影響を強く受けているといわれており、通常の短編小説の他にも童話作品を執筆していました。その作品のなかには、現代においても絵本の原作に使われる作品も多くあります。ここからはそんな宮沢賢治の、いつまでたっても色あせない小説作品を3つピックアップして紹介していきます。
銀河鉄道の夜
『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治が詩人としてデビューした1924年から、晩年の1933年まで執筆された童話作品です。学校に居場所がない主人公と微妙な交友関係にある友人が、銀河を走る銀河鉄道に乗って不思議な旅をする、幻想的なストーリーが魅力となっています。
宮沢賢治らしい美しく純な世界観を見て取ることができる、彼の最大の代表作の一つでしょう。
注文の多い料理店
『注文の多い料理店』は、前述した『春と修羅』同様に、デビュー年に自費で刊行した同名の短編集に収録された作品です。山に狩をしにやってきた青年の2人が、超常的な「何か」に化かされながらたどり着いたレストラン「山猫軒」で、徐々に自らを調理させられていく様をテンポよく描いています。
グスコーブドリの伝記
『グスコーブドリの伝記』は、死の前年である1933年に発表した童話作品です。苦労しながらも才能ある技師として成長した主人公が、両親を死に至らしめた冷害の再発生に対抗するために自らを犠牲にする内容となっています。本作における「自己犠牲」という要素は、前述した詩作品「雨ニモマケズ」に通づる宮沢美学の結晶と言えるでしょう。
子供から大人まで楽しめる作家
宮沢賢治の作品は哲学的なものからファンタジー的なものまで、幅広いジャンルを網羅しています。ある意味で近代文学史における稀有な存在と言えるでしょう。この記事の内容を参考に、子供の頃に読んだことのある作品でも、もう一度読み直してみてください。大人になった今だからこそ、違う解釈、違う感動を得ることができるかもしれません。