能と同様、室町時代に猿楽から生まれた演劇である狂言ですが、他の日本の伝統芸能と同じく、流派があることをご存知でしょうか。本記事では、狂言の流派の歴史や芸風の違いなどを解説しながら、誰もが知る狂言師たちの流派についてもご紹介します。
狂言の流派や家で違いあり
「能楽」と呼ばれる伝統芸能のうち、内容に悲劇が多く独特の面と舞踊を取り入れた「能」に対して、猿楽にあった滑稽なモノマネの要素を洗練させて発展したとされるのが「狂言」です。
現在、室町時代の後期から江戸時代初期にかけて確立した三流派のうち、明治時代に廃流となった鷺流をのぞいて、大蔵流と和泉流の二つの流派が存続しています。さらに、その流派それぞれに宗家(本家)と分家がいくつか存在します。
同じ演目でもその家によって演じ方や台本が異なるため、その違いを知ることで、より深い鑑賞ができるのも狂言の面白さの一つです。
最古の流派、大蔵流とその芸風とは
まず、狂言最古の流派とされる大蔵流をご紹介します。
幕府の保護で発展 大蔵流の歴史
大蔵流は、織田信長や豊臣秀吉といった戦国武将に愛され、江戸幕府の保護を受けて発展しました。現在、宗家の大蔵彌右衛門家を筆頭に、東京の山本東次郎家、京都の茂山千五郎家・茂山忠三郎両家、大阪の善竹弥五郎家の五家が活動を続けています。
大蔵流各家の特徴
大蔵流は、次にご紹介する和泉流と比べて古雅な芸風であると言われています。なかでも、山本東次郎家は格調を重んじる硬い芸風、茂山両家は写実的な芸風を持ち、善竹家はややくだけた芸風という特徴があります。
京都に生まれ、叙情性豊かな和泉流
つづいて、江戸幕府の庇護下にあった大蔵流に対して、京都に生まれ、名古屋や金沢で発展したのが和泉流についてご紹介していきます。
和泉流の誕生と現在
宮中に出仕し、のちに尾張徳川家に召し抱えられた山脇元宜が、同じ京都出身であった野村又三郎、三宅藤九郎を傘下に打ち立てました。
「和泉流」の呼称は、元宜が「和泉守」の任命を受けていたため、次第に定着していったもの。現在では、東京の野村萬・野村万作両家、名古屋の野村又三郎家、名古屋の山脇派が和泉流の主な担い手とされています。
和泉流の演技の特徴
和泉流は、起伏に富んだ展開や歌謡を多用した演出、華麗で写実的な装束などが特徴で、叙情性豊か、かつ、柔和な芸風とされます。一方で、山脇・野村・三宅の各派ごとには独自の台本が伝わり、同じ演目でもセリフや登場人物の名称、ストーリーにも違いがあります。
野村萬斎氏や和泉元彌氏の流派は?
とてもよく知られた狂言師である野村萬斎氏や和泉元彌氏は、実ははとこ同士の関係で、お二人とも和泉流に属しています。
東京オリンピックの開会式の演出を任され話題の野村萬斎氏は、戦後の狂言復興に尽力し、人間国宝にもなった野村万作氏のご長男。和泉流「万作の会」に所属されている狂言師です。
過去に大河ドラマ「北条時政」の主演をつとめ、19世宗家和泉元秀のご長男の元彌氏は、近年国際芸術祭などでご活躍されています。
流派、家ごとの違いを知って鑑賞体験をより深く
このように、狂言では、同じ演目でも、流派や家ごとに異なる筋立てや演じ方を楽しむことができます。各家のウェブサイトには演者の紹介が掲載されていますので、鑑賞の前にはぜひチェックをしてみてください。