狂言の面白さとは。いまさら聞けない狂言の基本を紹介

2019.05.17

様々な時代に彩りを与えてきた「狂言」。独特のテンポが織りなす世界観が、現代に古き良き時代のあり方を面白おかしく伝えています。しかし「狂言」とひとくちにいってもその実態を詳しく知っている方は、現代においてはなかなかいないのではないでしょうか?実際に見に行く前にある程度予習をしておけば、より一層狂言を楽しめるはずです。そこでこの記事では狂言の基本について詳しく紹介します。

狂言とは

狂言は喜劇でありながらも、数々の要素を詰め込んだ一種の『エンターテインメント』です。厳格なイメージがある日本の伝統芸能の中でも、コメディ要素にあふれた親しみやすさがあります。

演じられる題材としては、当時の庶民の日常を切り取り、『シテ』と『アド』と呼ばれる2役が演じて面白おかしいコメディへと昇華しているものが多く、昔から多くの人々に親しまれてきました。

成立した室町時代から、その人気は現代でも衰えを知らず、狂言は歌舞伎などと同様に日本各地で『ほぼ毎日』公演が催されています。気になる方はwebサイトなどで公演情報をチェックしてみましょう。

狂言と能と歌舞伎の違い

数ある日本の伝統芸能の中でも度々名前が挙がる『歌舞伎、能、狂言』。

どれも舞台上で演じられる一種の観劇ということで、つい混同されがちですが、これら3つの伝統芸能は、果たしてどのような違いがあるのでしょう。ここからは狂言と歌舞伎、能との違いをご紹介します。

能とは

狂言と同時期に成立した能は、いわば兄弟のようなものです。その内容は庶民の日常を面白おかしく演じる狂言とは違い、有名人(武将、貴族、歌人など)を題材に、その生涯を演じつつ供養するというもので、登場人物には神様なども登場する厳格かつ優美なものです。

舞台は全体的に演奏や歌を伴って進行していくため、演目ではなく『曲目』と呼称されています。中には神事としての能も存在し、大規模な神社では能を演じるための舞台が用意されています。

狂言と能を合わせて能楽

気になる狂言と能の関係性。その中で必ず知っておきたいのが『能楽』という言葉についてです。

本来、狂言と能は一緒に上演されることが多く、その場合は能、狂言、能、狂言というように交互に上演されることになっています。これはかつての偉人たちを演じ供養する厳格な能と、おもわず笑ってしまう庶民の日常を描いた狂言で客の感情や集中力のバランスをとり、最後まで飽きさせずに楽しんでもらう役割も果たしています。

このように、能と狂言は基本的にセットとして扱われるものであり、この総称が『能楽』ということになります。

歌舞伎とは

歌舞伎は、能と狂言の関係性に比べると「全くの別もの」といって差し支えありません。能と狂言が室町時代ごろに成立し、『能楽』といういちジャンルとしてワンセットで発展してきたのに対し、歌舞伎の成立は江戸時代で、能・狂言とは独立に成立し、現代まで発展を遂げてきました。

歌舞伎の特徴として、派手で奇抜という意味の「かぶく」から命名されたように、派手な衣装や化粧で身を飾りつつ、客を盛り上げながら『魅せる』演技をメインに据えていることが挙げられます。

「客を楽しませる」ことを目的としているため、その演目は古いものだけではなく、その時代に合わせた現代劇などを演じることもあり、その人気は世代を問わず大衆に受け入れられています。

狂言の歴史

長い歴史をもつ狂言。誕生から現在まで受け継がれてきたのは技術、装飾、言葉と多岐に渡ります。その歴史を紐解いていけば、自然と狂言全体の知識を得ることができると思います。ここからは狂言の基本的な歴史を大きく3つにわけてご紹介します。

狂言の起源

狂言の起源は、室町時代から数百年前に当たる奈良時代に流行した『散楽(さんがく)』とよばれる大道芸でした。散楽は現在の中国からもたらされた芸能であり、その素晴らしさから国を挙げての普及が行われ、日本の文化に根付いていきました。

その後時代を追うごとに形態や呼び名が変わり、平安時代には『猿楽(さるがく)』と呼称されるようになります。猿楽は狂言と能の前身といえるものです。

室町時代になると、能・狂言の元祖ともいえる『観阿弥・世阿弥親子』が登場します。彼らにより現代にまで至る能と狂言の原型が確立したといわれており、この時代に「悲劇メインの能」と「コメディメインの狂言」に分離、成立するに至りました。

なお、分離後もしばらく呼称は変わらず、明治時代までは『猿楽』で統一されていましたが、明治に入り日本の伝統芸能を洗練しようという動きが起こると、『猿楽』という名前はふさわしくないとして『能楽』へと改称されました。この呼称が、現代にいたるまで使用されています。

狂言解体の危機

古くから人気を誇った能・狂言は、幕末の動乱期から明治にかけて解体の危機に晒されたことがありました。江戸時代の幕府全盛期で、能とともに幕府お墨付きの証である「式楽」に認められた狂言でしたが、明治維新の折に幕府がなくなってしまったことでその優位性を失い、徐々に廃れていってしまいました。

その時代に狂言の主力流派の1つ『鷲流』が離散してしまったほか、他の流派もほとんどが興行を行えないなど、狂言はかつてないほどの危機に立たされてしまったのです。

しかしその後は明治政府からのバックアップを受け、猿楽から能楽に名称を変更し、再び大衆向けの芸能として徐々に人気を獲得して解体の危機は免れました。

現代の狂言

現代における狂言は、伝統を守る能楽における狂言や狂言単体の興行に加えて、お笑い芸人と狂言師による「現代狂言」というジャンルが確立されています。

現代狂言は『狂言師による通常の狂言』『お笑い芸人による現代よりな狂言』『狂言師とお笑い芸人による新作狂言』の3部構成です。現代狂言は人気を博し、現在は名称を「古今狂言」に変更し、精力的な活動が行われています。

狂言の流派は2つ

戦後の日本においての狂言は、稽古場の消失から生まれた他流との合同稽古により、さらに洗練されたものに進化してきました。しかしこの流れは狂言の『流派』について知っていなければ実感することができません。そこでここからは狂言をより一層楽しむための知識として、狂言の流派について解説します。

流派とは

流派とはその流派を作った『開祖』の流れを組む派閥のことです。

先ほどご紹介した通り戦前までは他流との交流は一切なく、それぞれが独自の技術を継承していましたが、現在では積極的な交流が行われているため、流派の違いの中にも、双方の共通点などを見つけることができます。

なお流派はその中でさらに『家』で別れており、活動をする際は流派ではなく家ごとに活動をすることになります。同じ流派でも家ごとに細やかな違いを見つけることも狂言の醍醐味と言えるでしょう。

大蔵流と和泉流の違い

現代の狂言の流派は、主に大蔵流と和泉流の2つです。同じ狂言であっても流派が違えば作法や型が全く違うため、好みなどもわかれてきます。またこの2つの流派はそれぞれ独自の曲目を継承しており、「共通の曲目なのに内容が違う」という場合もあります。実際にそれぞれを鑑賞し、自分の好みを探してみることをおすすめします。

絵本で伝える狂言

狂言の面白さ、素晴らしさを次の世代にも伝えていくためにわかりやすい絵本が販売されています。ここからはそんな「子供に読み聞かせるもよし、自分で読むもよし」な狂言の絵本について紹介します。

狂言えほん

狂言えほんは各出版社からシリーズ化されて販売されています。どの作品も狂言の中ではスタンダードなものばかりであり、子供だけではなく大人でも楽しめる内容となっています。気になる作品はぜひチェックしてみてください。

狂言えほん、ぶす

本作は「主人に留守番を頼まれると同時に壺を渡される主人公の2人。「危険だから触るな」と言われてついつい中身が気になってしまって…」という狂言の中では決定版とされる曲目です。

狂言えほん、うつぼざる

国民的狂言師の「野村萬斎」氏推薦の本作。お殿様に猿を毛皮としてよこせと命令されてしまった猿回しと、ずる賢い演技でなんとか命令を回避しようとする猿の絶妙な掛け合いが持ち味の曲目です。

  • 商品名:狂言えほん うつぼざる
  • 価格:1,620円
  • 商品ページ

狂言のおもしろさを知ろう

伝統芸能という言葉から何かと敷居が高いイメージの狂言ですが、起源を調べてみるとそれは庶民に身近な存在だったことがわかりました。この記事の内容を参考に、より狂言を知って狂言のおもしろさをお腹を抱えながら味わってみてください。

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