心にしみる有名な俳句を読み解く。日本人ならみんな知ってる名句と作者

2019.04.04

古くより読まれてきた俳句の世界では、いまなお人々の心に刻まれる有名な俳句が多くあります。有名な俳句は往々にして『名句』と呼ばれ、様々な解釈を生み、日本人の心を豊かにしてきました。今回は、たくさんの俳人の中から松尾芭蕉、正岡子規、小林一茶の3人が残した有名俳句の意味や情景などを紹介していきます。

意外と知らない、有名な俳句の意味

俳句にはたくさんの有名なものがあります。しかし、その句の意味や背景もきちんと知っているという人はどれくらいいるのでしょうか?

俳句自体は聞いたことがあっても、どんな意味でどんな背景で読まれたのかといった細部まで知る機会はあまりありません。この機会に俳句の意味を知り、もっと俳句の良さに触れてみましょう。

俳句の意味を知ると奥深さがわかる

俳句には、たった十七音の短い文章の中に奥深い意味や情景・思いが込められています。

もちろん自分で意味を解釈することもできますが、有名な俳句が一般的にどういう風に読み取れるかを知ることによって、もっと俳句の良さがわかるようになります。

また、俳句の鑑賞には季語を知ることも重要です。季語を学ぶことで、季語がもつ季節感や鮮やかな光景、豊かな情緒も感じられるようになります。

俳句と言えばこれ。名句と作者をご紹介

有名な俳句といえばどの句を思い出すでしょう。教科書に載っていたものや何度も耳にした俳句などたくさん思い浮かべるのではないでしょうか。

ここでは『おくのほそ道』を書いたかの有名な松尾芭蕉や、現代俳句の祖ともいえる正岡子規など、知らぬ人はいない俳人とその作品を紹介します。

芸術性の高い松尾芭蕉

松尾芭蕉は、1644年(寛永21年)生まれ、三重県の上野市の出身です。「古池や蛙(かわず)飛び込む水のおと」や「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」、「夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと」など、たくさんの有名な俳句を残しています。

『おくのほそ道』は、松尾芭蕉が弟子の河合曾良とともに東北地方を旅した紀行文で、その中に各地で詠んだ俳句が多数記されています。奥の細道のルートは江戸から大垣までを結ぶ約2,400キロ。5~6ヶ月で各所を訪れながら詠み歩いたとされており、かなりの早さで歩いていたことがうかがえます。

松尾芭蕉の俳句は、自然の情景や日本のワビサビが表現されていてとても美しく、この時代の俳句の世界におけるひとつの完成型といえるでしょう。

古池や蛙飛こむ水のおと

「古池や蛙飛び込む水のおと(ふるいけやかわずとびこむみずのおと)」とは、蛙が古い池に飛び込んだ時の音の様子を詠んだ句です。

蛙が池に飛び込む音を表現した単純な句ではありますが、周囲の静寂や寂れた古池の様子、蛙が池に飛び込む生の躍動のような情景がまざまざと伝わってくる、趣のある句となっています。この句の季語は『蛙』で、これは春を表現している季語です。

また、この句には諸説があり、古池というのはあとから決めたとする説があります。これは芭蕉の弟子が書き残した文献が根拠となっており、この句が誕生したとき、芭蕉は蛙が飛び込んだ水の音を聞いただけというのです。

これを踏まえると、さきほどの解釈もまた少し変わってきますね。古池の寂れた情景を読んだ句というより、蛙が水に飛び込む音から古池を連想した芭蕉の心の動きに焦点が移っていくような解釈も可能です。

このように、俳句にはさまざまな意味や解説があり、たくさんの人によって現代まで議論され続けています。

閑さや岩にしみ入蝉の声

「閑さや岩にしみ入蝉の声(しずかさやいわにしみいるせみのこえ)」とは、山形県にある立石寺(りっしゃくじ)でセミが鳴いている様子を詠まれた句です。

この句は明確な句訳はわかっていないので、少しミステリアスで詠み解くことにロマンがある俳句です。「閑さ」と「蝉の声」という一見矛盾する表現の意図が特に考えさせられますね。

もっとも一般的な解釈では、「静まりかえっているお寺で蝉の声だけが岩にしみいるように聞こえる」ということになります。季語は『蝉』で、夏を表現しています。

先述したように、静寂と蝉の取り合わせが意味するところや、「蝉」とは「アブラゼミ」なのか「にーにー蝉」なのかなど、いろいろな角度から議論がなされています。読む者の想像力を掻き立てるこの句もまた、名句とも言えるでしょう。

横顔の肖像画で有名な正岡子規

正岡子規と言えば有名な横顔の肖像画を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。正岡子規は、1867年10月14日生まれ、愛媛県松山市出身です。与謝蕪村や小林一茶などのあまり評価されていない俳人を世に広め、高く評価していました。

俳人ではありますが、日本に野球が導入された頃の選手でもあり、野球界に対する貢献でも有名です。野球を想い詠った短歌に、「球と球をうつ木を手握りてシャツ着し見ればその時思ほぬ」といったものがあります。

彼は若くして結核を患ってしまい、7年の闘病の末34歳の若さで帰らぬ人となりました。

柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺

「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺(かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ)」とは、正岡子規の中でももっとも有名な俳句かもしれません。

日本最古の建立物である法隆寺の近くの茶店で一服がてらに柿を食べ、そのときに法隆寺の鐘の音を聞いて、その響きに秋を感じたという解釈が一般的です。もちろん、季語は『柿』であり、秋を表しています。法隆寺ではいまでも時を告げる鐘の音が鳴り響いています。

この句が詠まれたとされる日は雨だったということや、病状が悪化していたであろうことから法隆寺に立ち寄っていたかどうか疑問視する声もあります。ですので、この句は実際法隆寺で詠まれたのではなく想像上で詠んだフィクションの俳句なのではないかという説もあります。

鶏頭の十四五本もありぬべし

「鶏頭の十四五本もありぬべし(けいとうのじゅうしごほんもありぬべし)」は、1900年(明治33年)に句会で出された句です。季語は『鶏頭』で、これは秋を表現しています。鶏頭とはヒユ科の植物で、ニワトリのとさかに似ていることからこの名前がつきました。赤や桃色、黄色などの花を咲かせます。

この句に対する解釈や評価にはさまざまなものがありますが、結核を患っている正岡子規が病床で「今年も去年見た風景と同じように鶏頭が十四、五本咲いているのだろう」という思いを詠ったというものが最も一般的な解釈でしょう。

「ありぬべし」とは、「きっとあるだろう」という強い推量を表します。単に「鶏頭が十四、五本咲いている」という風景を描写することにとどまらず、あくまで推量の形式をとることで、病床にいる子規とその心の情景までも再生させるような見事な俳句です。

親しみやすい小林一茶

小林一茶(こばやしいっさ)は1763年(宝暦13年)5月5日に生まれた長野出身の俳人です。

20歳を過ぎたころから俳人を目指し、25歳で弟子入りをします。29歳で故郷に帰り、その後近畿、四国、九州などを俳句を詠みながら旅をしました。

小林一茶は20,000を超える句を詠んでいて、たくさんの俳句集を残しています。代表作は「一茶発句集」や「おらが春」などです。小林一茶の俳句は家族や子ども、小動物や植物などを詠んだユニークなものが多く、とても親しみやすくなっています。

すずめの子そこのけそこのけお馬が通る

「すずめの子そこのけそこのけお馬が通る(すずめのこそこのけそこのけおうまがとおる)」は、『おらが春』に集録されている句です。「すずめの子よ、早くそこをどかないと馬が通るぞ」という意味で、一茶が道で遊んでいるすずめの子たちに語りかけるように詠まれました。

また、別の解釈では馬は竹馬のことを指しているという説やすずめを小林一茶に投影したという説もあります。季語は『すずめの子』でこれは春の季節です。

この句は五七五ではなく、中七・下五ともに字余りですが、声に出してみるととてもリズムが良く感じることでしょう。

痩蛙まけるな一茶是れに有り

「痩蛙まけるな一茶是れに有り(やせがへるまけるないっさこれにあり)」は、2匹の雄ガエルが喧嘩している姿を見て詠まれた句と言われています。

「痩せている方のカエルよ、がんばれ負けるな、一茶がついているぞ」といった意味でしょうか。季語は『蛙』ですが、上であげた松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の季語である『春の蛙』と違い、ここでいう蛙とはガマガエルのことを指し、これは夏の季語となります。

ここに出てくる痩せ蛙とは、立場が弱いものや、一茶自身のことを重ねて詠んだともいわれています。弱い立場であってもあきらめず立ち向かう勇気をくれる、今でいう応援ソングのような感じの句ですね。

こうした微笑ましい情景を読んだ俳句が多いのも、一茶の特徴であり魅力でしょう。

有名俳句の意味を知って春夏秋冬を楽しもう

俳句の意味がわかると、その季節を迎えたとき、季節にあった有名な俳句が頭の中に思い浮かぶことでしょう。

ここでは紹介していませんが、有名な俳句の中には、情熱的な恋の句や、鋭く人生を穿つような哲学的な俳句も多くあります。ぜひ自分好みの俳句を見つけ出し、日本特有の四季折々の絶景を俳句と楽しんでみてはいかがでしょうか。

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