お化け煙突をご存知ですか?懐かしい昭和のシンボルの今昔

2018.07.31

日本の高層建築物といえばまずスカイツリーが頭に浮かびますが、かつて人々に愛された『お化け煙突』がこれらのデザインに影響を与えていることをご存知ですか?懐かしい昭和時代のシンボルとして、今も人々の心に残るお化け煙突について紹介します。

お化け煙突とは

ある地域の巨大な火力発電所の煙突を、人々は『お化け煙突』と呼びました。いずれも電力需要が高まった1900年代前半に作られたものがほとんどです。

まだ高層ビルが少なかった時代に、巨大な煙突は離れた場所からでもよく見えました。その土地に住む人々にとって煙突はなじみ深い目印となり、土地の象徴として愛されるようになったのです。

日本では東京、大阪にある火力発電所の煙突がお化け煙突と呼ばれ、地域の人々に親しまれてきました。

見る位置によって本数が変わる煙突

日本のお化け煙突は、見る位置によって本数が変わることで知られています。東京は4本、大阪は8本の煙突が並んでいましたが、いずれも見る角度によって本数が増えたり減ったりしました。

特に東京の場合は、正面からは3本、横からは1本、斜めからは2本または4本と変化が顕著だったため、一層不思議に思う人が多かったようです。

角度によって本数が変わる秘密は、煙突が配置された型によるものです。東京は巨大な煙突がひし形に並んでいたため、場所によって本数が異なって見えました。

当時、電車にのってお化け煙突を眺めると、煙突の本数が刻々と変化していくのを、はっきりと楽しめたそうです。

なぜお化け煙突と呼ばれたか

巨大な火力発電所の煙突がなぜお化け煙突と呼ばれたのか、理由は2つあります。

まず1つ目は、前述のとおり『見る角度によって煙突の本数が変わる』ためです。お化けという言葉は『不思議な』という言葉にも置き換えられます。

そして2つ目は、巨大な煙突であるにも関わらず、当初はほとんど使われることがなく、煙突から煙が出てくることは稀だったためです。

普段ほとんど稼働していないのに、たまに煙を上げる様は多くの人々を驚かせたようで、お化けと呼ばれるようになりました。煙突から白い煙が上がるのを「火葬場のようだ」と不吉に感じる人もいたそうです。

お化け煙突とその時代

日本でお化け煙突が作られたのは大正時代です。日本が近代化の道を進み、人々の生活も大きく変化していました。お化け煙突があった時代を見てみましょう。

大正と昭和を股にかけて稼働

日本でお化け煙突を持つ火力発電所が作られたのは大正時代です。

1927年に日本の電灯普及率が87%にまで上昇したことからもわかるように、大正時代は急速に電気が普及していった時代です。増え続ける電気需要にこたえるため、石炭をエネルギー源とする火力発電所が建設されるようになりました。

こうして生まれた火力発電所は『お化け煙突』をシンボルに、当時最先端の技術で人々の生活を支えたのです。

やがて太平洋戦争が勃発し、日本の電力事業は全て政府の管理下に置かれるようになりました。建設当初は稼働の少なかった火力発電所も、戦時中は忙しく稼働を続けることになります。

そして終戦を迎えた後も、日本の復興の大きな助けとして働き続けました。

本来の役目を終えても象徴として機能した

戦後、火力発電所が老朽化したこと、エネルギー源が石炭から重油に変わったことなどから、発電所の廃止が決定します。

取り壊しが決まってからは土地のシンボルであるお化け煙突をしのぶ声は多く、本来の役目を終えた後も人々に愛され続けました。

東京の場合、お化け煙突が取り壊される直前には、市民が集って『お別れの会』を開いたと言います。そこに住む人々にとってお化け煙突がいかに大切なものであったかが伺えるエピソードです。

各地にあった有名お化け煙突

お化け煙突とよばれたものは、前述のとおり東京と大阪にありました。それぞれについて簡単に見てみましょう。

千住火力発電所

1926年から63年にかけて稼働した千住火力発電所は、東京都足立区にありました。建設当初は予備発電所だったため、2万5000kWの発電能力しかありませんでしたが、戦時中には常時稼働発電所に昇格し、7万5000kWの発電能力を持つまでになりました。

発電所のシンボルである4本の煙突は高さ83.8m、直径4.5mというとても大きなもので、『千住のお化け煙突』と呼ばれて愛されました。

足立区のランドマークだった発電所の廃止と煙突の取り壊しが決定すると、取り壊しを拒否する市民が煙突によじ登り、大騒ぎとなったそうです。

今はどこで見られるか

発電所本体や煙突が取り壊されたのは、廃止が決定した1年後の1964年です。煙突は全て解体されましたが、一部は切り取られて保管されました。翌年の65年には足立区立元宿小学校に寄付され、滑り台として活用されたそうです。

その後、小学校は廃校となったため、現在は跡地に帝京科学大学が建てられています。大学ではお化け煙突の滑り台をモニュメントに作り直し、当時の写真と共に展示しています。

モニュメントは上半分のみが本物のお化け煙突なので、上部に注目することをおすすめします。

春日出第二発電所

お化け煙突を8本も持っていたのが、大阪市此花区にあった春日出第二発電所です。1922年に稼働を開始し、59年まで運転していました。

当時は発電所のすぐそばに、人々が通勤・通学に使う渡し船がありました。渡し船からは毎日お化け煙突が良く見えたため、船からの風景は人々にとって大切な日常の一部として愛されたそうです。

太平洋戦争中も発電所に大きな被害はありませんでした。しかし、戦後の電気事業再編成により所有者が『大同電力』から『関西電力』に変わったことをきっかけに、発電所は廃止が決定されます。

煙突も発電所も取り壊され、同じ敷地内に新しい『春日出発電所』が建設されました。こちらは平成に入っても稼働していましたが、より大きな発電所が建設されたため、2002年に廃止され、翌03年には取り壊されてしまいました。

メディア化されたお化け煙突

日本の近代化を支えた火力発電所の煙突は、昭和のシンボルとして愛されてきました。当時の雰囲気を味わってみたい人は、メディア化されたお化け煙突を見てみるといいかもしれません。

煙突の見える場所

こちらは1953年3月に公開された日本映画で、『ベルリン国際映画祭平和賞』を獲得した名作です。

物語は、お化け煙突の見える東京の下町を舞台にしています。画面からは戦後の風景や人々の暮らしぶりをはっきりと感じることができ、どこか懐かしい気分になるでしょう。

映画に出てくるお化け煙突は、『本物』が使われているので、いまでは大変貴重な映像となっています。お化け煙突は物語の中で、『見る角度によって見え方が異なるが、実は1つのもの』として象徴的に使われています。

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こちら葛飾区亀有公園前派出所

東京の下町が舞台の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』では、2つの章でお化け煙突を見ることができます。いずれも主人公の『両津勘吉』の少年時代の話なので、ノスタルジックな懐かしさを覚える人も多いのではないでしょうか。

ギャグ漫画ですが、ジンと心に残る物語です。

おばけ煙突のうた

『お化け煙突のうた』は1944年の東京を舞台にしたアニメーション作品です。この中でお化け煙突は主人公の少年が「いつか登りたい」と憧れる、夢の象徴として描かれています。東京大空襲など、戦争中の忘れてはいけない出来事を見ることができ、心に深く残ります。

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古き良き昭和の風景

現在はお化け煙突よりも高いビルができ、人々の生活も豊かになってきました。便利になってきたはずなのに、不便だった子供時代にノスタルジーを覚える人も多いのではないでしょうか。

お化け煙突のある風景は、見る人に古き良き昭和をイメージさせ、懐かしさや郷愁を誘います。ノスタルジックな気分に浸りたい人は、ぜひお化け煙突の本や映画から、当時を思い浮かべてみましょう。

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