小説の書き出しは、読者の興味を引く上で大事なポイントです。名作の書き出しは得てして後世に語り継がれ、フレーズとして有名になるほどの名文が多いもの。小説を書こうと思ったけれどいきなり筆が止まってしまった方や、有名作品の書き出しを知りたい方のために、名作小説の書き出しとそのポイントについてまとめました。
読者の心を鷲掴みにする小説の書き出し方
まずは読者の興味を引くような書き出しテクニックを3つ紹介します。
自己紹介から始める
書き出しで作者や登場人物の性格や過去の経験を書くことで、「これから何が起こるのか」、「どういう人のお話」なのか読者の興味を引くことができ、自然と次の文章に誘導できます。
このテクニックを効果的に使いこなしているのが夏目漱石です。彼の代表作『坊っちゃん』の書き出しを見てみましょう。
親譲の無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。
(出典:青空文庫)
意識して読むと分かりますが、自然と先が気になりますね。もう1つ夏目漱石の作品で面白い書き出しを紹介します。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
(出典:青空文庫)
日本文学の中でも非常に強烈かつ有名な書き出しです。この文章を読んだ読者は虚をつかれ、一体どういうことかと続きを読まずにはいられなくなりますよね。
セリフから始める
ライトノベルなどエンタメ系の小説でよくある表現です。このテクニックの特徴として、セリフなので一文が短く読者の頭に入りやすい、セリフを発した登場人物の性格や境遇などを表現できるというものがあります。
感想や意見から始める
「僕は〇〇派です」、「〇〇は駄目ですね」など、作者や登場人物の感想・意見から始まる書き方です。小説よりもエッセイやビジネス書などでよく見かけるテクニックです。
現代人は忙しいですから、最初の一文は短めにすることを推奨します。また先述した自己紹介やセリフで始まる書き出しテクニックを組み合わせるのも1つの手です。
偉大な作者が使用した小説の書き出しテクニック
続いて有名な小説家が使用した書き出しテクニックを見てみましょう。どれも小説の技法を巧みに使っており、参考になる点目白押しです。
定番をいじる/安部公房『壁』
目を覚ましました。朝、目を覚ますということは、いつもあることで、別に変ったことではありません。しかし、何が変なのでしょう? 何かしら変なのです。
(出典:安部公房「壁」新潮文庫刊)
「目を覚ましました」というありきたりな一文から始まり、「何が変なのでしょう? 何かしら変なのです」と異様な雰囲気で読者に語りかけるという奇妙かつキャッチーな書き出しです。
このように、当たり前の文章の後に突飛な表現や言い回しを加えることで、読者を一気に日常から非日常へと引き込むことができます。
嘘をついてみる/芥川龍之介『藪の中』
さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝いつもの通り、裏山の杉を伐りに参りました。すると山陰の藪の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩せ杉の交った、人気のない所でございます。
(出典:青空文庫)
芥川龍之介の「藪の中」では、藪の中の死体について上記のような証言が多数出てきますが、各証言で食い違いが見られます。そのため読み進めていくうちに、書き出しの証言が嘘なのではと疑念を持つようになります。
小説において語り手を疑うケースは少ないはずです。しかし語り手や書き出しにフェイクを混ぜておくことで、物語に深みを出せるというわけです。
視覚と聴覚を刺激する/村上龍『限りなく透明に近いブルー』
飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蠅よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。
(出典:村上龍 『限りなく透明に近いブルー』 講談社文庫 1978年)
まず「~でなかった」と開幕否定するのがキャッチーです。さらに虫の羽音という聴覚に訴えかける表現から始まり、虫が消えるという聴覚から視界へと移る流れが非常に自然で見事です。
飛行機の音と虫の羽音を聞き間違うのも冷静に考えれば奇妙ですが、実はこれにはしっかりとした意味があり、続きを読めば分かる構成になっています。
小説の書き出しで名作と言われる作品とは
最後に書き出しが特徴的かつ優れている作品を紹介します。
夏目漱石『それから』
誰か慌ただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼が覚めた。枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちている。
(出典:青空文庫)
この書き出しでは、夏目漱石が如何に書き出しにこだわっているかがよく分かります。
まず「足音」と「俎下駄」がイメージとして繋がって、主人公の頭の中にぶら下がっているという奇妙な光景。目を覚ますと、一輪の椿が畳の上に落ちているという落下運動が表現されており、先行きの悪い予感をそれとなく読者に印象付けています。
D.H.ロレンス『チャタレー夫人の恋人』
ぼくらの時代の真実は悲劇的なものなので、ぼくらは悲劇的な捉え方を拒絶する。大変動がおこった。あたりは瓦礫の山となった。ぼくらは新しい小さな住みかを建てはじめ、新しい小さな希望を育みはじめる。かなり困難ないとなみだ。いまは未来へつながる平らな道がない。けれども、障害物のまわりを回るか上を乗りこえてゆく。何度空が落ちてもぼくらは生きなければならない。
(出典:ロレンス著・武藤浩史訳「チャタレー夫人の恋人」ちくま文庫刊)
悲惨さと未来に対する力強い想いを感じさせる始まりですが、実は原文では悲惨さに対して嘆いているだけで、現実逃避な書き方をしています。書き出しの解釈しだいで、小説全体を見る目も変わるため、やはり書き出しは重要です。
石川淳『佳人』
わたしは……ある老女のことから書きはじめるつもりでいたのだが、いざとなると老女の姿が前面に浮んで来る代りに、わたしはわたしはと、ペンの尖が堰の口ででもあるかのようにわたしという溜り水が際限もなくあふれ出そうな気がするのは一応わたしが自分のことではちきれそうになっているからだと思われもするけれど、じつは第一行から意志の押しがきかないほどおよそ意志などのない混乱におちいっている証拠かも知れないし、あるいは単に事物を正確にあらわそうとする努力をよくしえないほど懶惰(らんだ)なのだということかも知れない。
(出典:石川淳著「普賢・佳人」講談社文芸文庫)
リズミカルではありますが、かなり変わった冒頭ですね。この書き出しのポイントは、語り手が混乱していると一発で読者に伝えられる点です。
また「わたし」を連呼しているのは、当時流行っていた私小説(作者の体験談)の批判ないしパロディのためと言われています。
森見登美彦『四畳半神話大系』
大学三回生の春までの二年間、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえであるか。 責任者に問いただす必要がある。責任者は何処か。 私とて誕生以来こんな有り様だったわけではない。
(出典:森見登美彦著『四畳半神話大系』角川文庫刊)
語り手(主人公)の性格や学生生活がこの冒頭だけではっきりと分かりますね。またこの作品はいわゆる平行世界もので、第一話から最終話まで同じ書き出しなのも特徴。
別の平行世界でも「責任は自分にはない」と言い訳する主人公らしさが表現できており、「構造反復」を巧みに使用しているといえます。
キャサリン・マンスフィールド『幸福』
バーサ・ヤングは三十にもなるが、まだときおりこんな気持におそわれるときがある、歩いていずに走りたくなったり、舗道の上でダンスのステップを踏んでみたくなったり、輪まわしをころがしてみたくなったり、なにかを宙にほうりあげてそれを受けとめてみたくなったり、そうかと思うと、じっと立ち止まって――なんということもなく――まったく、なんということもなく笑いたくなったり……。
(出典:マンスフィールド短篇集/崎山正毅・伊澤龍雄訳「幸福・園遊会 他十七篇」岩波文庫刊)
「走る」、「踊る」、「笑う」と、快活な動詞が使われて楽しげですが、どこか引っかかりを覚える書き出しです。読み進めていくと、「幸福」というタイトルの背後に潜む闇が感じ取られ、読破後に冒頭を見返すと、違和感の正体に気づくという仕掛けです。
またここでも語り手の内容がそのまま真実とは限らないテクニックが使われています。
小説の書き出しには作者のこだわりが詰まっている
数万文字からなる小説の中で、書き出しは数百文字程度にすぎませんが、今回紹介したどの作品も巧妙に考えられたテクニックが使用されています。読者は気付かぬうち小説の世界に誘われているのです。
もちろん小説の内容も大切ですが、書き出しに目を向けるのも面白いかもしれませんね。